1-5 日本軍は慰安所をどう運営したの?

慰安所は戦地・占領地につくられましたが、軍直営の慰安所、軍専用の慰安所、民間の売春宿を軍が指定して一時使用する軍利用の慰安所の三種類がありました。このうち、軍直営と軍専用の慰安所についてみてみましょう。

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日本軍が自らつくった

現地の日本軍部隊が慰安所をつくることを決定すると、建物は現地部隊が接収しました。部屋が多い建物が必要なので、学校やお寺や教会関係の施設が慰安所にされたこともあります。建物の内部の改装も現地部隊が行ないました。

慰安所の規定は現地部隊がつくっています。軍人・軍属専用なので、民間人は利用できません。おおむね、朝、昼は兵士が利用し、夕方は下士官、夜は将校が利用することとされ、将校と下士官・兵士とが慰安所で顔をあわせることがないようにしていました。将校専用の慰安所もありました。

利用料金も現地部隊が決めています。独立攻城重砲兵第二大隊が中国につくった慰安所では、下士官・兵が利用する場合は、中国人女性は一円、朝鮮人女性は一円五〇銭、日本人女性は二円で、将校はその倍額と決めています【資料1】。各部隊に利用日を割り当てることも現地部隊が決めています。

【資料1】独立攻城重砲兵第二大隊「常州駐屯間内務規定」1938年3月16日。

慰安所は軍の施設

書映_漢口慰安所_s

漢口の積慶里慰安所は、日本軍の武漢攻略作戦後の1938年11月に開設され、日本の中国派遣軍随一の「繁栄」だったという。これに関して、軍医・長沢健一(左)、慰安係長・山田清吉(右)の詳細な証言がある。山田によれば、積慶里には20軒の慰安所があり、日本人・朝鮮人の「慰安婦」計280名いたという。日本軍は慰安所の開設・管理・統制(性病検査含む)の主体であった。

軍専用の慰安所は業者に運営させるのですが、現地部隊が監督・統制しています。業者や「慰安婦」は無給軍属の扱い(軍属待遇)でしたが、現地部隊は業者に「慰安婦」の取締りを命じ、毎日の営業報告書を提出させています。

軍医による定期的な性病検査も行なわれていました。「慰安婦」の食料・衣服・日用品などは現地部隊から提供されています。ただで提供される場合もあります。インドネシアのケンダリーにいた海軍部隊は、食料・衣服・寝具・食器類・水道料や使用人の給料などまで支給していました【資料2】。また、軍はコンドームや性病予防薬を提供しています。

このように、日本軍は慰安所を軍の施設として抱えこんでいました。「慰安婦」制度をつくり、運営した主役は日本軍だったのです。業者が経営する場合も、軍から監督・統制されていますので、軍の手足として使われたことになります。

画像1長沙慰安所

中国・長沙慰安所のスケッチ(細川忠矩『戦場道中記』1992年より)

画像2 長沙慰安所見取り図

長沙慰安所見取り図

軍人・軍属は軍と特別な契約関係にある人たちですので、今風にいえば公務員ということになるでしょう。国家が公務員専用の性的施設をつくるというのは、きわめて異常なことではないでしょうか。仮に文科省が小・中学校の先生のために専用の慰安所を作れば一大スキャンダルです。そういうことが平然と行なわれていたというところに、この問題の本質があるのです。

合法化した理由

では、日本軍はどういう理由で慰安所を「合法化」したのでしょうか。陸軍についてみると、慰安所は軍の後方施設、兵站付属施設としてつくられました。陸軍には「野戦酒保」という、軍人・軍属のために飲食物とか日用品を提供する売店をつくることができるという規定がありましたが、それを拡大して「必要な慰安施設」をつくることができるようにしています。業者が勝手につくったものではないのです。

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第二軍司令部「売淫施設に関する調査報告」1946年(厚労省資料)

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