12-5 韓国政府は米軍「慰安婦」に関わった?

韓国の米軍「慰安婦」は、米軍の積極的な支持・協力のもと、韓国政府が設置し奨励したものであることが、韓国の女性団体や研究者、当事者たちによって明らかにされています。

目次

「慰安婦」という用語

 その内容を具体的に見る前に、まずは「慰安婦」という用語について整理しておきましょう。「慰安婦」とは、そもそも日本軍が遣いはじめた用語で、文字どおり軍人を「慰安」する女性たちを指しています。これは軍人の性のはけ口、戦争遂行の道具とされる女性の人権をまったく考慮しない、極めて身勝手で一方的な名称だと言えます。

 日本では敗戦直後から、政府の指示により「特殊慰安施設協会(RAA)」がつくられ、占領軍のための「慰安所」が設置されましたが、1946年3月に閉鎖された後は、「慰安婦」「慰安所」という言葉は遣われなくなりました。ところが韓国では、朝鮮戦争期(1950~1953年休戦)に「特殊慰安隊」という名の韓国軍「慰安所」が設置され、その後は米軍基地周辺で米軍の買春に利用される女性たちが「慰安婦」と呼ばれました。

 

韓国・のアメリカタウン(撮影:金富子/2003年)

ただし、これは公文書上の名称で、一般には1990年代に入って日本軍「慰安婦」問題が明らかにされるまで、「慰安婦」という言葉が人々に広く知られることはありませんでした。日本軍「慰安婦」は「挺身隊」、米軍「慰安婦」は「洋公主ヤンコンジュ」などと呼ばれ、韓国軍「慰安婦」については存在そのものが一般にはあまり知られていなかったからです。

韓国軍「慰安婦」制度の考案・設置者たちが旧日本軍経験者たち

 ではなぜ、解放後(日本の敗戦後)の韓国で、公文書上「慰安婦」という用語が使われたのでしょうか。それは、当時の韓国軍幹部に「日本の陸軍士官学校出身者たちが大挙登用され、満州国軍出身者たちがそれに次いだ1」ことと無関係ではありません。朝鮮戦争期の韓国軍「慰安婦」について韓国で先駆的な研究を発表した金貴玉キムギオクさんは、「韓国軍『慰安婦』制度に関与した人物たちをたどると、日本統治期に日本軍『慰安婦』制度を経験していた韓国軍将校たちの姿がうかびあがってくる」とし、同制度の考案・設置者たちが旧日本軍経験者たちであったことを明らかにしています2。 

 また、朝鮮戦争時には韓国軍のための「慰安所」だけではなく、国連軍(米軍)のための「慰安所」も運営されました。そして終戦後も、「ソウル市内の随所に広がっている私娼と『洋公主』を一定地域に集結、統制しようとした韓国政府の関心と、効率的な戦闘力向上のため安全なセックスおよび性病防止対策に悩んでいたアメリカ側の利益が一致3」 して、米軍「慰安婦」制度へと繫がっていったのです。

米軍「慰安婦」制度の本格化

 この米軍の「慰安婦」という用語が明確に韓国の公文書に現れるのは、1957年2月28日に制定・施行された「伝染病予防法施行令4」 です。1957年は、韓米間に設置された「性病対策委員会」が「慰安婦」を一定地域に集結させることを決めた年で、一方、日本では売春防止法が施行された年です。韓国政府は、米軍「慰安婦」女性に啓蒙教育5を行なって、日本に行く米軍の買春需要を韓国内に向けようとしました。

 しかし、なんと言っても、米軍「慰安婦」制度が本格的に体系化され女性たちに対する人権侵害が極端に達するのは、朴正煕パクチョンヒ政権(1961~1979年)下でのことでした。クーデターで政権を奪取した朴政権は、名分のない不安定な政権を維持するために、米国の支持と米軍の駐屯を必須のものと考え、「淪落りんらく行為等防止法」(1961年)を制定して売春を取り締まる一方で、「観光事業振興法」(1961年)を制定し、淪落地域(赤線地帯)を設定(1962年)して、米軍に「安全な性的慰安」を提供すべく迅速に動きました。

 米軍の「慰安婦」にされた女性たちは、登録を徹底され、「愛国」教育を施され、定期的な性病検査をされ、性病感染が疑われると「落検者収容所」に監禁されました。ニクソン・ドクトリン(1969年)により駐韓米軍2万人削減が決定されると、朴政権は撤退する米軍を踏みとどまらせるため、莫大な予算をかけて「基地村浄化事業」に乗り出し、女性たちに対する管理と「教育」をさらに強化しました。この頃から、米軍「慰安婦」は「特殊業態婦」という名称に変わりました。

真相究明へ

 このように、他国の軍隊から守られるべき「一般女性」と「慰安婦」女性を分離し、「慰安婦」女性たちを効率的に統制しながら外貨獲得の手段とする政府の行為に対し、女性たちは黙ってはいませんでした。

 1986年に結成された「トゥレバン」や、1996年に結成された「セウムト」などの運動団体、研究者、そして被害当事者たちの努力によって、「基地村女性6」 をめぐる真相が明らかにされてきたのです。さらに、2012年8月にはこれらの団体、研究者、被害女性たちが「基地村女性人権連帯」を発足し、2014年6月には韓国政府に対し損害賠償訴訟を起こすに至りました7。 

 ここで特記すべきは、日本軍「慰安婦」問題解決のために運動してきた韓国挺身隊問題対策協議会も「基地村女性人権連帯」の発足に参加し、現在行なわれている米軍「慰安婦」訴訟の支援にも加わったという事実です。日本では米軍「慰安婦」訴訟について「反日ブーメラン」などという言説も見られますが、挺対協などの韓国女性運動が「反日」のために日本軍「慰安婦」問題に取り組んできたわけではないことが、これによっても明らかでしょう。

 米軍「慰安婦」問題がこのように韓国内で訴訟にまで発展しているのに対し、朝鮮戦争期の韓国軍「慰安婦」については、解明されていないことが多く残されています。金貴玉さんは、自身が韓国軍「慰安婦」について2002年に公表した後も研究が大きく進展していない「最大の理由は韓国軍慰安婦自身が声を上げていないからだ8」と指摘しています。

 軍隊による女性への性暴力を根絶するためのたたかいは、日本軍「慰安婦」被害者、そして米軍「慰安婦」被害者たちが声を上げることによって大きく進展してきました。この声に、加害国家が応答し、その責任を果たすことで世界に範を示し、女性に対する暴力根絶のために貢献することが、日本政府にも、韓国政府にも求められているのです。 

  1. 金貴玉「日本軍『慰安婦』制度が朝鮮戦争期の韓国軍「慰安婦」制度に及ぼした影響と課題」(歴史学研究会、日本史研究会編『「慰安婦」問題を/から考える』岩波書店、2014年)
  2. 同書35~39頁
  3. 李娜榮「日本軍『慰安婦』と米軍基地村の『洋公主』―植民地の遺産と脱植民地の現在性」(『立命館言語文化研究』23巻2号、2011年)
  4. 「伝染病予防法施行令」(1957年2月28日)……前項に規定した者は、次の各号に従い、特別市長又は道知事が指定する性病診療機関で健康診断を受けるものとする。1.接客婦、その他接客を業とする婦女(接待婦、酌婦等)、2週に1回。2.ダンサー、遊興業者の女給又はこれに類似する業に従事する者、1週に1回。3.慰安婦又は売淫行為を行う者、1週に2回。4.性病を伝染させ又は伝染する恐れのある者、随時。
  5. 各地の警察幹部が直接介入して組織し、管理・実行するやり方で、主な内容は性病予防と米軍を相手にするときの正しい態度を身につけるためのものだった。(李娜榮、前掲書)
  6. 行政が「慰安婦」「特殊業態婦」という用語を使ったのに対し、女性運動・社会運動側は「基地村女性」という用語を主に使ってきた。基地村女性の自伝として、金蓮子『基地村の女たち―もう一つの韓国現代史』山下英愛訳、御茶の水書房、2012年がある。
  7. 訴訟名は「韓国内基地村米軍慰安婦国家損害賠償請求訴訟」。同訴訟の原告たちは、米軍「慰安婦」という言葉が「嫌で嫌でたまらない」という。しかし、公文書に書かれた名称が「米軍慰安婦」である以上、訴訟は「米軍慰安婦」訴訟として起こすしかない、と考えたという(梁澄子聞き取り)。2018年2月8日、韓国ソウルの高裁の二審で、米軍基地村の性売買に対する国家責任を認める初の判決が出た。
  8. Ú·ÏÚêÐäÌÜþ Ðñò¢õ½ªÎ隠された真実》 キム・チョンンジャ・証言、キム・ヒョンソン編、セウムト企画、ハヌル発行¡¢2003年(332頁、金貴玉解題)。書籍は未翻訳だが、金貴玉解題は『季刊戦争責任研究』第八五号、日本の戦争責任資料センター、2015年12月収録(岡本有佳訳)。
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