北支派遣軍慰安酌婦募集に関する件(1938)
業者が、軍からの依頼と言って酌婦(慰安婦)を集めようとしている(前借金の1割を軍が出すということも)ことを報告、「悪影響」があるとしている。このころ、同じような報告が各県知事から内務省になされており、県・警察が対応に困っていたことがわかる。次の和歌山県知事の文書も参照。
時局利用婦女誘拐被疑事件に関する件(1938)
皇軍慰安所のために慰安婦(酌婦)を募集している業者を誘拐容疑で取り調べた。ところが長崎や大阪の関係当局に問い合わせたところ、在上海日本総領事館の陸軍武官室と憲兵隊の合議の上、軍慰安所のためにその業者を派遣したことを示す総領事館の文書を持って来たことが判明した。
山形県や和歌山県などからのこうした一連の報告を受けて、内務省は、軍慰安所のための慰安婦渡航を認める通達を出したのが、1938.2.23付の「支那渡航婦女の取扱に関する件」になると考えられる。つまり、こうした女性の海外渡航を禁止し、そうした業者を取り締まっていた従来の内務省・府県・警察の方針を放棄し、軍慰安所のためであれば認める方針を打ち出したのである。
この文書の解説は、永井和「日本軍の慰安所政策について」参照
http://nagaikazu.la.coocan.jp/works/guniansyo.html#SEC6
支那渡航婦女の取扱に関する件(1938)
内務省は、慰安婦の渡航は「必要已むを得ざるものあり」と承認し、内地からの渡航は「現在内地に於て娼妓其の他事実上醜業を営み、満二十一歳以上且花柳病其の他伝染性疾患なき者」に限って「黙認することとし」、身分証明書を発給するよう、各府県知事に指示。内地から渡航する「慰安婦」は①満21歳以下は渡航を認めない、②満21歳以上は「現在内地に於て娼妓其の他事実上醜業を営」む者以外は認めない、というものだが、このような制限を課す通牒は、朝鮮・台湾では出されなかった。明白な差別的取扱いがなされていたことになる。
この内務省警保局の通牒に対応して軍から出されたものが、陸軍省副官通牒「軍慰安所従業婦等募集に関する件」1938.3.4 になる。
支那渡航婦女に関する件伺(1938)
内務省は、1938年11月、中国派遣の第21軍と陸軍省の要請を受け、大阪(100名)・京都(50名)・兵庫(100名)・福岡(100名)・山口(50名)に人数を割り当て、警察が業者を選定して集めさせるよう府県知事に指示している。業者選定の際には、「何処迄も経営者の自発的希望に基く様取運び之を選定すること」と注意している。なお、この文書には、台湾総督府もすでに300名の女性を手配済みであるとも記されている。
[日本軍「慰安婦」関係史料について]
ここには基本的な史料を選んで掲載しています。これまでに見つかっている日本軍「慰安婦」関係の史料については、アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」(wam)が整理し、関連するすべての公文書1000点近くをウェブ上で公開しています。史料そのものをウェブ上で見ることができますので、もっとくわしい史料をご覧になりたい方は、そちらのサイトをご覧ください。
日本軍「慰安婦」関連公文書 アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」(wam) https://wam-peace.org/ianfu-koubunsho/
【文書の出典について】
ここに掲載した文書は、注記のないものは、政府公表資料です。これらは、「デジタル記念館 慰安婦問題とアジア女性基金」内の「慰安婦関連歴史資料」に掲載されている、女性のためにアジア平和国民基金編『政府調査 「従軍慰安婦」関係資料集成』①~⑤ にも収録されており、http://www.awf.or.jp/6/document.html のページから、同資料集成の全文を閲覧することができます。なおこの国民基金の資料集成に収録された史料は、多くは、アジア歴史資料センターのウェブサイト http://www.jacar.go.jp/index.html でも閲覧できます。