日本軍中央の政策、指示、関与

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野戦酒保規程改正(1937)

陸軍省は、第一条において「野戦酒保に於いては前項の外必要なる慰安施設をなすことを得」という条文を加え、軍慰安所を軍の施設として設置できる改正を行った。慰安所は軍の正式の施設として認められたことになる。

アジア歴史資料センター(レファレンスコードC01001469500)
この文書の解説は、永井和「日本軍の慰安所政策について」参照
http://nagaikazu.la.coocan.jp/works/guniansyo.html#SEC6


軍慰安所従業婦等募集に関する件(1938)

陸軍省が、慰安婦の「募集等に当りては派遣軍に於て統制し、之に任ずる人物の選定等を周到適切にし、其実施に当りては関係地方の憲兵及警察当局との連携を密に」するよう指示。


南方渡航者に関する件(1942)

南方軍が、台湾人「慰安婦」50名をボルネオへ派遣するよう要求してきたので、台湾軍司令官は、1942年3月12日付で、憲兵が調査選定した業者3名の渡航許可を陸軍省に要請、陸軍省は3月16日にこれを認可した。さらに1942年6月13日には、50名をボルネオに送ったが「稼業に堪へざる者」が出るなどの理由で20名を追加で送りたい旨を陸軍省に打診している。


陸軍省医事課長日誌摘録(1942)

陸軍省の局長会報・課長会報(「会報」とは会議のこと)の内容をメモした日誌。陸軍省の局長課長たちの会議において、慰安所の設置について報告議論されていたことがわかる。1942.9.3の会議からは、陸軍省が把握している限りでは、400ヶ所に慰安所を設置したことがわかる。

鈴木裕子、山下英愛、外村大編『日本軍「慰安婦」関係資料集成』上、明石書店、2006年、308-309頁、より採録させていただきました。


支那事変の経験より観たる軍紀振作対策(1940)

支那事変の経験より観たる軍紀振作対策

陸軍省 支那事変の経験より観たる軍紀振作対策 1940.9

陸軍省は、「五 事変地に於ては特に環境を整理し慰安施設に関し周到なる考慮を払ひ、殺伐なる感情及劣情を緩和抑制することに留意するを要す」として、「性的慰安所」にも言及している。同時に「掠奪、強盗、強姦等極めて悪質なるもの多発しあり」と軍紀の乱れについて認めている。


[日本軍「慰安婦」関係史料について]
 ここには基本的な史料を選んで掲載しています。これまでに見つかっている日本軍「慰安婦」関係の史料については、アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」(wam)が整理し、関連するすべての公文書1000点近くをウェブ上で公開しています。史料そのものをウェブ上で見ることができますので、もっとくわしい史料をご覧になりたい方は、そちらのサイトをご覧ください。
日本軍「慰安婦」関連公文書 アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」(wam) https://wam-peace.org/ianfu-koubunsho/

<参考文献>

【文書の出典について】
ここに掲載した文書は、注記のないものは、政府公表資料です。これらは、「デジタル記念館 慰安婦問題とアジア女性基金」内の「慰安婦関連歴史資料」に掲載されている、女性のためにアジア平和国民基金編『政府調査 「従軍慰安婦」関係資料集成』①~⑤ にも収録されており、http://www.awf.or.jp/6/document.html のページから、同資料集成の全文を閲覧することができます。なおこの国民基金の資料集成に収録された史料は、多くは、アジア歴史資料センターのウェブサイト http://www.jacar.go.jp/index.html でも閲覧できます。

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