10-3 朝日新聞の誤報で「慰安婦」問題が捏造されたのか?

目次

『朝日新聞』攻撃と日本軍「慰安婦」問題の否定

『朝日新聞』は2014年8月5、6日に「慰安婦問題 どう伝えたか 読者の疑問に答えます」という報道の点検記事を掲載しました。「吉田清治氏が済州島で慰安婦を強制連行したとする証言は虚偽だと判断し、記事を取り消します」とし、また「慰安婦と挺身隊の混同がみられた」ことも認めました。

この点検記事に対して、『読売新聞』や『産経新聞』などの全国紙や多くの週刊誌・月刊誌をはじめとするメディア、さらには政府自民党などの政治勢力が、〈吉田証言はウソ→強制連行はなかった→慰安婦問題は朝日によるねつ造→国際社会にウソを広めた〉という単純な図式で、『朝日新聞』攻撃と、日本軍「慰安婦」問題そのものがねつ造だという異常なまでのキャンペーンを展開しています。

そもそも吉田証言が日本軍「慰安婦」問題の火付け役だったという認識がまちがいです。吉田さんの問題の著書『私の戦争犯罪』は一九八三年に出版されています。当時、中曽根内閣で、元日本軍将兵らの加害証言が出はじめていましたが、「慰安婦」問題は、とくに社会問題にはなりませんでした。「慰安婦」問題が大きな社会問題、さらには国際問題になったのは、1991年8月に韓国でさんが、元「慰安婦」として名乗り出たことでした。そして同年12月に金さんを含む三人の元「慰安婦」の女性たちが韓国人の元軍人・軍属たちとともに日本政府を相手取って賠償を要求する訴訟を起こしました。このことが多くの良心的な日本の人々に大きな衝撃を与えました。衝撃を受けた一人が吉見義明さんで、吉見さんは金さんの証言を聞いてから改めて防衛研究所図書館に通い関連文書を探し、それを1992年1月に発表しました。これによって「民間の業者」が勝手に連れて歩いただけだという日本政府の言い訳が完全に否定され、日本政府は日本軍の関与を認めざるを得なくなり、日本の国家としての責任が追及されるようになります。

金順学さんが名乗り出たことに勇気づけられた韓国をはじめ各国の被害者が次々と名乗り出て、日本軍「慰安婦」問題が国際問題となったのです。

吉田証言には依拠していない

日本軍「慰安婦」問題の研究も実質的にここからはじまりますが、その時に吉田清治証言をどう考えるのかが問題になります。この点は、信頼できる証言としては扱えないというのが研究者の共通の理解となりました。

当然、吉見義明さんの『従軍慰安婦』(岩波新書、1995年)でも吉田証言はまったく使っていませんし、「河野談話」作成にあたって吉田証言には依拠しなかったことも明らかにされています。ですから、今回の『朝日新聞』の点検を理由に「河野談話」見直しを要求するのはまったくの筋違いと言えるでしょう。

多くの元日本軍「慰安婦」の女性たちの証言、さらには元日本軍将兵の証言や戦記・回想録、日本軍や政府の数多くの公文書などにもとづいて研究が行なわれ、日本軍「慰安婦」制度の全体構造とそのなかでの女性たちの被害実態が解明されてきました。それらの成果はさまざまな出版物、講演会などで市民に広げられ、元日本軍「慰安婦」の方たちの日本政府を相手取った訴訟においても活用されてきました。

朝日バッシングでなされている主張は、この20年来の研究成果をまったく無視したものです。20年以上にわたる研究者市民の努力による多くの資料の集積と、それをベースにした研究の成果をふまえた議論がなされるべきでしょう。また、「河野談話」発表以降でも500点以上の「慰安婦」関連の公文書が発見されており、本来、日本政府がきちんと収集しそれらをふまえて日本政府の対応がなされるべきではないでしょうか。

『朝日新聞』の報道が国際社会に悪影響?

さらに否定派の攻撃内容の一つは、『朝日新聞』によるねつ造が国際問題化した原因であるかのような主張です。そのなかで国連人権委員会から「女性への暴力に関する特別報告者」に任命されたクマラスワミさんが1996年に提出した最終報告書、いわゆるクマラスワミ報告書のなかで、吉田清治証言を引用していることを理由に、国際的にまちがった情報にもとづいて日本批判がなされているかのような言い方がされています。

日本の戦争責任資料センターは、この報告書を日本語に訳していますが(簡易製本版として自費出版)、その冒頭に解説をつけ、事実誤認がいくつもあることを指摘しています。その原因の一つがジョージ・ヒックス著『Comfort Women』に依拠していること、ヒックスさんが引用している吉田清治証言を採用していることを批判しています。ヒックスさんの著作はまちがいが多く、日本の研究者は誰も引用しないと言ってよいほど信頼性に欠けるものですが、それに依拠している点にこの報告書の最大の問題点があるでしょう。

ですから、『朝日新聞』の報道が国際社会に悪影響を与えたというよりは、当時、英文資料としてはヒックスさんのまちがいだらけの本しかなかったことが問題だったと言ういうべきでしょう。ただし、報告書の構成からみると、吉田清治証言を削除しても文章の流れには影響ない程度の記述に留まっていることも指摘できます。

そして、この報告書が一つの章を被害女性たちの生の証言の要約にあてているという特徴もあります。報告書でクマラスワミさんは「調査団の活動中、特別報告者がとくに心掛けたのは、元「慰安婦」の要求を明確にすることと、現在の日本政府が本件の解決のためどんな救済策を提案しつつあるのかを理解することであった」、さらに「この報告の意図が、暴力の被害を受けた女性たちの声に人々が耳を傾けるようにすることである」とも述べています。つまり、この報告書は被害女性の声を重視して作成されたもので、そのうえに立って勧告がなされたのです。

その後、吉見義明さんの『従軍慰安婦』が2000年に英訳されるなど日本の研究が英文でも発表されるようになり、多くの日本軍・政府関連文書が英訳で提供されるようになりました。そうしたなか、2000年12月に開催された女性国際戦犯法廷では、厳密な事実認定がなされるようになりました。国際的な人権機関の認識は吉田証言のレベルに左右されているものではありません。元日本軍「慰安婦」にされた女性たちの証言が、国際社会に大きな衝撃を与え、同時に日本軍文書にもとづく研究がそれを支えたと言えるでしょう。

(2014年10月24日更新)

<参考文献>

日本の戦争責任資料センター『R・クマラスワミ国連報告書』日本の戦争責任資料センター、1996年
VAWW-NET ジャパン編『女性国際戦犯法廷の全記録Ⅱ 日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷Vol.6』緑風出版、2002年
吉見義明「河野談話検証は何を検証したのか」『世界』2014年9月

目次