12-7 ソウル中央地方院判決は、国際法上も常識的にもあり得ない?

2021年1月8日のソウル中央地方法院判決について、菅義偉首相(当時)は「国際法上、主権国家は他国の裁判権には服さない。これは決まりですから」、茂木敏充外相(当時)は「国際法上も2国間関係上も到底考えられない異常な事態」と述べました。しかし、主権免除は日本政府のいうように絶対的なものではなく、この判決は先進的なものではあっても、決して国際法や常識に反するものではありません。

目次

「主権免除」には例外がある

主権免除とは、主権国家は平等なので一国が他国の裁判権に服することはないという慣習国際法上の規則です。しかし主権免除が国家のどのような行為にも適用される絶対的な規則であるという考え(絶対免除主義)が支配的だったのは19世紀のことです。国家の行為が多様化し、商品の購入や工事の発注など一般人もできる行為(私法行為)を国家が頻繁に行うようになると、絶対免除主義を維持することはできなくなりました。紛争を最終的に民事訴訟で解決することができないのでは安心して外国政府と取引できないからです。そこで、19世紀末ころから国家が行う行為を主権の行使である「主権行為」と国家の行う私法行為である「業務管理行為」に分類し、業務管理行為については主権免除を否定する判決がヨーロッパの国内裁判所に現れるようになりました。これを制限免除主義と呼んでいます。制限免除主義は徐々に世界にひろまり、韓国は1998年の大法院判決、日本は2006年の最高裁判所判決でこれを最終的に受け入れました。ほぼ100年をかけて制限免除主義が世界の東の果てまで到達したのです。

さらに、領域内行われた外国の不法行為に対する損害賠償請求訴訟も主権免除の例外とする国内判決がヨーロッパに現れました。不法行為に主権免除が適用されると、外交官による交通事故の被害者などは泣き寝入りすることになるからです。不法行為例外も数十年かけて世界に広まりました。日本は2009年に制定した対外国民事裁判権法という法律で主権免除の範囲を定めていますが、この法律にも不法行為例外が明記されています。

 

「人権例外」の登場

そして、今世紀の初めころ、やはりヨーロッパの裁判所で新たな例外を認める国内判決が現れました。これが人権例外です。

1995年、ギリシャの裁判所にドイツ連邦共和国を被告とする損害賠償請求訴訟が提起されました。原告は第二次世界大戦末期、ドイツ軍が民間人214人を虐殺したディストモ事件の被害者遺族です。地方裁判所は「国家犯罪を行った国家は主権免除を黙示的に放棄したとみなす」として主権免除を否定して原告らの主張を認め、ドイツに賠償を命じました。ドイツは上訴しましたが、2000 5 4 日のギリシャ最高裁判所判決は74の多数で、前記の理由とともに、不法行為例外も適用して上訴を棄却しました。

一方、クウェートで拷問を受けて大やけどを負ったアル・アドサニ氏が英国の裁判所にクウェートを訴えた事件で、英国裁判所は人権例外を否定してクウェートの主権免除を認め、訴を却下しました。アル・アドサニ氏は英国裁判所が司法アクセス権を侵害したとして欧州人権裁判所に英国を提訴しましたが、同裁判所も2001年に英国裁判所の判断を支持しました。しかしこの評決は9対8の僅差だったことが注目されました。

イタリアでは、ドイツ軍の捕虜となり強制労働に従事させられたフェッリーニ氏がドイツに賠償を求めた裁判で、一審と二審はドイツの主権免除を認めて請求を却下しましたが、最高裁判所は2004年の判決で国家による国際犯罪には主権免除は適用されないとの判断を示しました。その後、強制労働や虐殺事件の多数の被害者と遺族がドイツに対して訴訟を起こして勝訴しました。

人権例外に対する賛否のせめぎあい

これに対してドイツは主権免除を認めないイタリア裁判所の判断は国際法違反であるとして国際司法裁判所(ICJ)にイタリアを提訴しました。欧州人権裁判所などに比べて保守的な傾向が強いICJは2012年に14対3の多数でドイツの主張を認めてイタリアを敗訴させました。ただしその理由は、人権例外を認める国家実行(国内判決や立法例)はまだ相対的に少数なので、現在のところ人権例外を慣習国際法と認めることはできないというものでした。つまり、ICJも将来人権例外を認める国内判決が現れることを想定していることになります。

敗訴したイタリアの国会はICJ判決を受け入れるため、裁判官に主権免除の適用を義務づけるなどの立法を行いました。ところが、イタリア憲法裁判所は2014年にそのような法律は裁判を受ける権利を侵害して違憲であると決定したのです。

このように、国際法の世界で人権例外の肯定論と否定論はせめぎあい、一進一退しながら人権例外が少しずつ広がっています。韓国でも421日の同種事件の判決では18日の判決と正反対の判断が示され、韓国の裁判官の中でも人権例外に対する賛否がせめぎあっていることが明らかになりました。制限免除主義や不法行為例外が反対論とせめぎあいながら長い年月をかけて世界に及んでいったのと同じ過程が、今、人権例外で進行しているのです。

 

日本政府の主張は19世紀の絶対免除主義の亡霊

このように慣習国際法である主権免除規則は絶えず発展しており、「決まりですから」というような固定的・恒久的なものではありません。今回の判決はアジアで初めて人権例外を正面から認めた、人権中心の国際法の後押しをしたという点で画期的ですが、人権例外への賛否は国際的に拮抗しており「到底考えられない異常な事態」でもありません。「到底考えられない」という政府の主張はまるで19世紀の絶対免除主義の亡霊です。人権例外のような複雑な論点に触れることを避け、国際法=主権免除という単純な図式を繰り返し、韓国は国際法を守らない国という印象を国民に植え付けようとしているのでしょう。

(山本晴太弁護士)

目次