12-6 ソウル中央地方院判決は、どこが画期的だったの?

2021年1月8日、韓国のソウル中央地方法院が元日本軍「慰安婦」の原告らの訴えを認め、日本国に原告1人当たり1億ウォン(950万円)の賠償を命ずる判決を宣告しました。日本政府は期限までに控訴せず、判決は確定しました。

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日本政府に話し合いを求めた被害者

韓国政府は2005年の民官共同委員会見解で、日本軍「慰安婦」問題は日韓請求権協定の適用対象ではないと言明しました。しかし日韓の解釈の食い違いを解決するために同協定第3条に定められた手続(外交交渉と仲裁手続)を利用するなどの行動を起こしませんでした。被害者らはこのような韓国政府の態度(不作為)は憲法違反であるとの確認を求めて憲法裁判所に提訴し、憲法裁判所は2012年に被害者らの訴えを認めました。これを受けて韓国政府は日本政府に協議の申し入れをしましたが、日本政府は解釈上の紛争など存在しないとして拒否しました。そこで、2013年にナヌムの家に住む被害者らが日本政府との話し合いを求めて裁判所に調停の申立をしました。韓国政府との話し合いには応じなくても被害者との話し合いには応じる可能性があると考えたのです。

日本政府は裁判を無視

裁判所は調停に応ずるか照会する文書を何回も日本に送りました。しかし日本の外務省はすべての文書を受け取らずに返送したのです。裁判所は仕方なく調停不成立の決定をしました。韓国の民事訴訟法では調停が不成立の場合には自動的に訴訟に移行します。こうしてこの裁判が始まったのですが、それでも日本政府はあるゆる文書の受領を拒み、韓国の裁判手続を無視しました。これによって手続が遅延する間に12人の原告のうち7人が亡くなってしまいました。裁判所は文書を公示送達(裁判所やネットで一定期間公開し、届いたものとみなす)して訴訟手続を進め、判決を宣告しました。

実は2000年に韓国、中国、フィリピン、台湾の日本軍「慰安婦」被害者15人が米国のワシントン連邦地裁に日本国を訴えたことがあります。このとき日本政府は訴訟手続に応じ、ワシントンの法律事務所に依頼して45頁におよぶ申立書を提出して主権免除などによる却下を主張したのです。米国の裁判所の訴訟手続には応ずるが、韓国の裁判所の手続には応じないという日本政府の対応は明らかに韓国を蔑視した二重基準です。

裁判の争点は「主権免除」のみ

民事訴訟の判断は当事者の主張にしたがって行われます。例えば、日韓請求権協定や日韓合意で解決済みという主張は被告の日本国が主張しなければ判決に反映されません。

ただし、その裁判所に裁判の権限があるかという管轄権の問題は当事者の主張と関係なく裁判所が法に照らして判断します。日本政府は訴訟手続を無視して欠席したので、管轄権の問題である「主権免除」が唯一の争点になりました。

主権免除とは、主権国家は他国の裁判権に服することはないという慣習国際法上の規則です。19世紀には主権免除は絶対的な規則と考えられていましたが、現在では、国家が行う売買などの行為(業務管理行為)や外交官による交通事故のような不法行為に関する損害賠償請求訴訟も主権免除の例外とすることが世界で認められています。

焦点は「人権例外」

今回の判決で焦点になったのは、「第3の例外」ともいうべき「人権例外」です。

世界人権宣言、国際人権規約、各国の憲法などは裁判を受ける権利を保障しています。基本的人権を侵害された個人は国内裁判所で救済を受けることができるのです。一方で主権免除は被告が国家である場合には裁判を拒否する規則なので、裁判を受ける権利の保障と対立します。主権免除には、主権国家の尊厳を守り外交関係を安定させる利点があると言われていますが、人権救済の必要性が極めて高い特定の場合には、例外的に主権免除を否定して裁判を受ける権利を優先しようというのが人権例外の考え方です。どのような場合に例外とするかについては諸説がありますが、一般的には国際法上の強行規範(虐殺、奴隷化、強制移送の禁止のように決して逸脱が許されない規範)に違反する国家の行為によって、深刻な人権侵害が発生し、その被害者の最後の救済手段が外国に対する損害賠償請求訴訟であるような場合が挙げられています

人権例外を正面から認めた判決

判決は第1章で、日本軍「慰安婦」の動員の歴史、当時日本が加入していた国際条約、日韓請求権協定、河野談話、2015年日韓合意、原告12名のうち7名が死去した事実とともに、各原告が欺罔や強制によって慰安婦として動員され、慰安所で毎日数十人の軍人と性行為を強要されたこと、慰安所で暴行され、終戦後は置き去りにされて苦労して帰国し、その後も過去を隠して不安定な生活をしてきたことなどをかなり詳細に認定しています。被告が欠席した本件では事実関係は争点ではありませんが、人権例外の判断のため、国際法の強行規範に対する重大な違反や深刻な人権侵害の事実を認定しているのです。

そして第3章「裁判権の有無(国家免除の適用可否)に対する判断」で、下記の理由を挙げて、日本によって計画的・組織的に行われた反人道的犯罪行為である本件には主権免除を適用できないと判断しました。ヨーロッパの判例に比べても緻密で説得力のある理由と言えます。

①韓国憲法が保障する裁判を受ける権利は基本的人権の保障のための基本的人権という性格をもち、世界人権宣言も基本的人権の侵害に対して国内裁判所による効果的な救済を受ける権利を保障しているので、裁判を受ける権利を制限することは極めて慎重であるべきである。

②主権免除は手続法ではあるが、手続法は実体法の権利を実現するためのものであり、手続法によって実体法上の権利が形骸化されてはならない、

③主権免除は恒久的、固定的なものではなく、国際法が個人の権利保護に向かう中で主権免除も変容した。

④武力紛争遂行中の行為には主権免除が適用されるとされているが、当時の朝鮮半島は戦場ではなかった。

⑤ウィーン条約法条約は「いかなる逸脱も許されない規範」である国際強行規範の存在を明示しているが、侵略、奴隷制、ジェノサイド、人種差別及び人種隔離、拷問の禁止、武力衝突時の国際人道法の基本原則、民族自決権は強行規範である。

⑥主権免除が国際慣習法であるとしても、その適用が憲法を最上位とする法秩序全体の理念に反する結果となる場合まで国際慣習法としての効力を認めることはできない。そして、被害者らは日本や米国の裁判所に何回も訴訟を提起したが棄却され、韓国での訴訟の他に具体的な救済手段を見出せない。

⑦主権免除理論は主権国家を尊重する意味を有するが、強行規範に違反して他国の個人に重大な損害を与えた国家に賠償と補償を回避できる機会を与えるために形成されたものではない。

日韓の対立ではなく人権を侵害された個人と国家の対立

人権例外は比較的新しい理論であり、それに対する賛否は対立し、せめぎあっています。この対立は、国家中心の古い国際法と人権中心の新しい国際法の対立の反映です。人権例外が認められれば、難民が避難先の国の裁判所に自分を迫害した国家を提訴することができるかもしれません。原爆被爆者が日本の裁判所でアメリカに損害賠償を求めたり、ベトナムの戦争被害者がベトナムの裁判所に韓国を訴える可能性もあります。つまり、これは日韓の対立ではなく、人権を侵害された個人と国家の対立の問題なのです。

このせめぎあいの中で、判決はアジアで初めて人権例外を正面から認めました。もちろん、判決の第一の意義は日本軍「慰安婦」被害者らが苦難の人生の終盤に裁判所から法的権利を認められたということにあります。しかし、国際法的にみれば、それを超えて人権中心の新しい国際法への未来を切り拓き、国家によって人権を侵害される可能性のある、日本と韓国を含む世界の人々に人権回復の新しい手段を授ける可能性もった画期的判決なのです。

(山本晴太弁護士)

   

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