6-1 当時、「朝鮮人は日本人」だったから平等だった?

 1910年の「韓国併合」によって、朝鮮は植民地として大日本帝国に編入されました。朝鮮人は日本国籍をもつ大日本帝国臣民とされ、大日本帝国の国籍を所持することになったのです。それでは、朝鮮人は大日本帝国臣民として、日本人と同一の権利を与えられ、平等に扱われたのでしょうか。

 インターネット上の一部などでは、日本の植民地支配は朝鮮人を日本人と平等に扱ったよい支配であったという言説が見受けられます。また、最近では、さんが、「朝鮮人慰安婦と日本兵士との関係が構造的には「同じ日本人」としての〈同志的関係〉だった」との議論を展開しています1

 このような主張に妥当性はあるのでしょうか。

目次

植民地支配における「平等」とは何か?

 ここでは、日本の支配が朝鮮人を「平等」に扱うものだったのかを検証する前提として、日本が朝鮮支配を行なうにあたって、どのような方針を掲げていたのかを見ていきたいと思います。

 まず、日本の植民地支配は、朝鮮民衆に天皇の「恩恵」を与えるとの論理を掲げていました。たとえば、1910年8月29日の「韓国併合」の際に出された明治天皇の詔書は、朝鮮民衆を天皇の支配の下に置き、「」(慰めいたわる)すると宣言しています2

 次に、日本側は植民地支配を行なうにあたって、朝鮮人の「同化」の方針を掲げていました。ここでは、長谷川第二代朝鮮総督が発した、支配の方針を示した言葉を見ていきましょう3

 長谷川総督は、朝鮮人は同じ帝国の臣民なのだから、日本人との間にはいかなる差別も存在しないと述べた一方で、朝鮮人は「言語・習俗」が異なるばかりか「文化」が後れているのだから、現段階では、同一の制度の下に置くことができない、将来日本人への「同化」が達成された暁には、朝鮮人と日本人を同一の制度に置くようにする、と述べています。つまり、朝鮮人に日本人への「同化」を迫り、「同化」をしなければ平等には扱わないとしているのです4。長谷川は、朝鮮人と日本人を異なった扱いをすることは、「同化」の度合いからいって妥当だと主張しているわけですが、「同化」の度合いを判断するのはあくまでも日本側なのですから、朝鮮人を平等に扱わないための欺瞞的な論理と言えます。また、朝鮮の「文化」が後れているとの一方的な評価をしていることも問題です。

長谷川好道
近世名士写真 其1より

 日本側は、朝鮮支配を正当化するために、「一視同仁」や「内鮮一体」5などの標語を掲げ、朝鮮人を日本人と平等に扱うのだということをたびたび喧伝しました。しかし、ここでいう平等とは、あくまでも「同化」が達成された場合にのみ与えられるものという条件つきのものであり、しかも、平等に権利が付与されるというよりも、平等に天皇の支配下に置かれるというものでした。

 そして、より重要な点ですが、日本の朝鮮植民地支配はその終焉に至るまで、日本人と朝鮮人を平等に扱いませんでした。次項で見ていきましょう。

さまざまな差別

 国籍上は朝鮮人は「同じ日本人」とされ、また、さまざまな標語でも朝鮮人と日本人の平等が標榜されましたが、朝鮮人は法律上も制度上も「同じ日本人」として対等・平等に扱われたことはなく、支配―被支配の関係(植民地主義的関係)にありました。以下では、いくつかの事例からこのことを確認していきます。

 まず、当時の朝鮮は「内地」とは異なる「異法域」とされました(6-3参照)。朝鮮に施行された法令の立法権は、天皇・帝国議会・朝鮮総督にだけありました。朝鮮総督府では、総督・政務総監ともに日本人によって独占され、局長クラスもほぼ日本人で占められていました。また、国政への参政権も大幅に限定されていました6し、朝鮮に関わる重要事項を決定する独自の立法機関もありませんでした。朝鮮人が朝鮮に施行する法令を自ら制定することや、政策の決定過程に参与することは不可能でした。

 当時、日本人と朝鮮人の差別の根拠となったのが、戸籍制度です。「内地」に本籍を置くものは「内地人」(日本人)、朝鮮に本籍を置くものは「朝鮮人」と法的に区別されていました。ちなみに、本籍地の移動(たとえば、朝鮮から「内地」への移動)は、養子縁組や婚姻などを除いて原則的に禁じられていました。また、「内地人」などが国籍離脱を認められていたのに対して、朝鮮人は日本国籍から離脱する権利がありませんでした7。したがって、朝鮮人は戸籍上「内地人」になることもできなければ、日本国籍から離脱することもできず、「朝鮮人」という法的位置づけに縛られることになったのです。このように、日本人と朝鮮人は、国籍で「同じ日本人」として一括りされながら、戸籍で「同じ日本人ではない」と厳格に区別され、ここから決して逃れられない仕組みになっていたのです。

 戸籍によって、日本人と朝鮮人が区別されるなかで、公務員や教員の給与についても差がつけられました86-5参照)。また、同じく朝鮮に在住している場合でも、日本人と朝鮮人は法律の適用において、異なる立場に置かれることがありました9。教育の制度面でも、日本人と朝鮮人の間には格差が存在しました 6-6参照)

 さらに、朝鮮人は大日本帝国臣民とされましたが、自由に「内地」に渡航できませんでした。内務省・総督府による渡航規則の制定などで、朝鮮人の渡航は厳しく管理されたのです。日本人が朝鮮に渡る際にはこのような制約は存在しませんでした10

 このように厳しく差別が行なわれる一方で、戦時期には兵士・労働者・「慰安婦」などの形で、戦争動員の対象とされました。日本人と同一の権利は与えられないのに、動員の対象とされることは、極めて理不尽です。

 以上のように、国籍こそ「同じ日本人」とされましたが、日本人と朝鮮人は制度上・法律上、対等・平等に扱われませんでした。そして、差別的な取り扱いは、植民地支配からの解放に至るまで、撤廃されませんでした11

 最後に本稿の内容をまとめれば、次のとおりです。日本の植民地支配は、朝鮮人に「同化」を迫る一方で、日本人と同一の権利を与えようとはしませんでした。大日本帝国臣民(日本国籍の所持者)という点では一緒でも、戸籍によって朝鮮人を明確に区別し、露骨な差別が行なわれていました。日本人と朝鮮人が平等だったと、評価することはできません。そして、そうした差別を撤廃しない一方で、戦時期には強制的な戦争動員が行なわれたのです。



  1. 朴裕河『帝国の慰安婦』朝日新聞出版、2014年、83頁。この部分に関連して、朴氏は「慰安婦が、国家によって自分の意思に反して遠いところに連れていかれてしまった被害者なら、兵士もまた、同じく自分の意思とは無関係に、国家によって遠い異国の地に「強制連行」された者である。兵士が慰安婦に対して、男性であり、日本人であることで、権力関係で上位にいたとしても、[中略]非対称的構造が依然存在していたとしてもそれは変わらない」(89~90頁)と書く。上の本文で記述するとおり、朝鮮人に対する差別は厳然としており、日本人と朝鮮人を一緒くたに論じられない。加えてここでは、兵士と「慰安婦」が置かれた法的な位置の違いにも注目したい。大日本帝国憲法第20条は、「日本臣民ハ法律ノ定ムル所ニ従ヒ兵役ノ義務ヲ有ス」と定めており、兵役は憲法で日本臣民の義務とされていた(徴集されたのは男子のみ)。これに対して女性には、「慰安婦」として、性の相手をする法律上のいかなる義務もなかった(この点は、吉見義明氏の指摘による)。したがって、両者を「強制連行」として一括りにするのは乱暴な議論である。
  2. 『朝鮮総督府官報』1910年8月29日号外。なお、「韓国併合」にあたり寺内正毅初代朝鮮総督は、天皇の支配に抵抗する者は、容赦なく弾圧すると宣言した(同右)。抵抗する人々は「綏撫」の対象ではなく、弾圧された。
  3. 『朝鮮総督府官報』1919年7月1日付号外。
  4. 以上、糟谷憲一「朝鮮総督府の文化政治」大江志乃夫ほか編『岩波講座 近代日本と植民地2 帝国統治の構造』(岩波書店、1992年)参照。
  5. 「一視同仁」は、1920年代のいわゆる「文化政治」の下で使われた標語で、朝鮮人も天皇の臣民として、日本人と同じように扱うという意味で使用された。「内鮮一体」は、日中全面戦争以降に展開された「皇民化政策」で使われたスローガンである。「皇民化政策」は、朝鮮人を天皇に絶対に随順する「皇国臣民」に仕立てて、戦争へ動員することを図ったものである。
  6. 衆議院議員選挙法が植民地には施行されていなかった。したがって、朝鮮在住の朝鮮人・日本人には選挙権がなかった。植民地支配末期にいたって、衆議院議員選挙法が植民地に施行されることになったが、「内地」では男子普通選挙であったのに対して、植民地では直接国税15円以上を納める男子に限られた。この制度も実施されないまま、朝鮮は解放を迎えた。なお、貴族院にはごくわずかな数の朝鮮人勅選議員がいた。
  7. 1916年改正の「国籍法」は、国籍離脱を認めた。しかし、「国籍法」は「内地」・台湾・樺太には施行されたが、朝鮮には施行されなかった。
  8. 日本人公務員などには「外地手当」という上乗せの俸給などがあった。一般社会においても、朝鮮人の給与が低く設定されたが、公務員の給与格差がこれを正当化する要因ともなった。
  9. たとえば、結社・集会の取締に関しては、朝鮮在住の朝鮮人に「保安法」、日本人に「保安規則」が適用された。後者よりも前者の方が罰則規定が厳しかった。水野直樹「治安維持法の制定と植民地朝鮮」『人文学報』83、2000年。
  10. 鄭栄桓「在日朝鮮人の世界」(趙景達編『植民地朝鮮』東京堂出版、2011年)。
  11. 以上の差別の実態については、金富子『継続する植民地主義とジェンダー―「国民」概念・女性の身体・記憶と責任』(世織書房、2011年)第1章なども参照
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