中国 信陽

日本軍将兵の戦記

河村太美裕『ふるさとへの道 皇軍兵士の歴史認識』私家版・二〇〇〇年・四〇〇―四〇一頁。
(第三師団将校の記録、信陽の慰安所について)

こうした女性たちはどういう経路で慰安婦に追い込まれたのか想像すらできなかった。憲兵隊の言う「抗日部落から連れてきたんだ」という話は、誰もふふーんと鼻先で聞き流していた。その話にしてもどうせでたらめで、日本軍の悪虐非道を隠す作り話だと思っていた。本当のところはわからない。事実は秘密だし、タブーである。ただ信陽で、こんな話が古兵、将校の一部に伝わっていた。結婚を誓い合っていた二人がいた。男は現地除隊後もそのまま軍に協力していた。女は慰安婦だった。信陽一の美貌だったという。男は中国語ができたので危険を顧みず、敵地にまで潜入して物資の購入、情報蒐集などに活躍していたが、敵地区の路上で不意に射殺されてしまった。純情な彼女の悲嘆は深く、見る人は涙を禁じ得なかった。どうして彼女が慰安婦にさせられたかということも、彼女の流す涙とともにわかってきた。彼女の話を総合するとこうだ。

「彼女が十八歳の年、日本軍が信陽に攻め込んでくると、憲兵が来て、逃げ残っていた娘たち十数名を連れ込んでいきなり髪を切り丸坊主にしてしまった。そして憲兵は、この女たちは日本軍に売春をしたのでその罰として髪を切ったと布告したという。その上、憲兵は全員を犯して日本兵相手の慰安婦にしてしまった。こうされてはもうどうすることもできず、私たちの言うことは誰にも信用してもらえず現在のままになってしまった。中には自殺した者もあったし、逃亡した者もいた。病気になった者もいた」と言う。

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