中国 諸曁
日本軍将兵の戦記
「慰安婦に命を救われた―鄭琪永さん」朝日新聞社『女たちの太平洋戦争』第二巻・同社・1997年・117-118頁
(中国にいた朝鮮人日本軍兵士の記録、一九四五年七月、諸曁の慰安所で)
東京都帝国大学に在学中だった一九四四年(昭和十九年)一月、「学徒特別志願兵」として大邸歩兵八〇連隊に強制入隊、四五年七月、中国の諸曁チューチーに駐屯していたときのことだ。見習主管となっていた鄭さんは、初めて慰安所を訪れた。二階建ての立派な家で、三十人の女性がいた。カナザワサチコといった相手の女性は二十二歳。日本軍人だとばかり思っていた鄭さんが同じ慶尚南道の出身と知って、彼女は身の上を語りはじめた。
小作農だった父親がサハリンへ連行されたあと、第二人を養うために「日本の工場で働かないか」という日本人の誘いに乗った。下関に着いたが上陸せずに、船の中で一カ月すごしたあと中国へ。「処女だったのに……」。そういって泣きくずれた。
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