中国 衡陽

日本軍将兵の戦記

川崎正美『患者輸送第八十九小隊』一九八八年、私家版、一一九六~二九七頁、

此頃、慰安所の女が二名、三名と連れ立って、医務室へやって来る。何か病気でも有るのか知らんが、何で我が輸送隊へ来るのかも解らない。皆、半島人である。「良く此んな衡陽くんだりまでやって来たなァ」と感心していたが、時々将校室へやって来ては、肉饅頭や西瓜を置いて、馬鹿話をしていく。

(中略)

此の女たちが五、六回出入りしている間に、将校室にも這入って来る様になった。

「何だい。医務室は二階だが。何か御馳走でも持って来たのか?」

「いいえ。お願いがあるんです。」

「何のー」

「しょっ中、腹が痛いので、モヒを注射して貰っていたんですが、もう之以上は軍医さんの許可が無いと、注射出来ないーと云うので…頼みに来たんですがー」

「ん。香西中尉殿何うですか。麻薬中毒じゃ無いでしょうか?」

「そうやな。が…員数外の麻薬がワンサカ有った筈だから、注射してやったら良いわ。此

の連中も、軍の為に一役担ってるんだから…仕様有るまい。個人用のを出してやろうよ」

「中毒になっても困るでしょうが」

「何うせ、此の商売をしていれば、せめてモヒでも射さなきゃ-、苦しくてやり切れまいよ」

「そうですな。んなら…吉次伍長に云うて置くから、吉次から注射して貰えよ。薬は、俺の私物を渡しとくからな」

「まァ。軍医さん、嬉しい。話が判かるわ」

「ん。まあ。然し、余り兵隊を興奮させるなよ」

色々、馬鹿話していると、成程、仲々辛い仕事ではある。

半島から周施人に騙されて、軍の慰安というので踊ったり歌ったりして慰めたら良いlと思って又、周施人もそう云った。それで、支那へ渡って来たら、「客を取れ」と云う。「客を取れ」とは何の事やら解らずに、客の所へ行ったら、一辺でヤラれてしまった。それからは自棄糞である。次々に数をこなす。又、次々に兵隊が来るのだから、こなさなければならない、忙しい時は仰向けになって握飯を喰い乍ら、足を開いていると、兵隊さんは次々に来て、乗っては帰り、乗っては帰る。痛いとか何とかは通り越してしまって、下半身が障れて全然、分らなくなる。起き上るのもヤッとである。漸く落着くと下肢が突っ張ってしまって、下腹は張って重苦しくて一日中鈍痛がある。2,3日休んだら良くなる事は分っているが、次々に客が来るので休めない。全く生地獄とはこの事です。こんな阿呆なことをするのも、兵隊さんを慰安する為であり、国の為と思うので我慢できるが、腹痛だけは酷くなる一方である。肉や野菜で栄養を取らないと、直ぐ身体は参ってしまう。又痛みの方も悪い事とは知っていても鎮痛剤でも注射しないと仕事はできない。北支では「モヒ」や「阿片」が簡単に手に這入ったが、中支へ来たら全然手に入らないので(蒋介石の新生活運動が徹底している。女はお婆さんでもズボンを穿いているし、髪を断髪しているのが多い)衛生兵に頼んで内緒で注射して貰う。兎に角、女の数は少いし(衡陽の街で慰安婦は三十人もいないだろう。支那人は多いが)兵隊は何万といる。之じゃァ、痛み止めの注射をしなきゃァ、やり切れない。まァ、然し、身体が良く続くものではあるーと感心する。

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