マレーシア 北ボルネオのスンスラン

日本軍将兵の戦記

山崎アイン『南十字星は偽らず』(北辰堂、一九五二年)一四〇~一四二頁。
(著者は、中国人の父とマレー人の母との間にサンダカンで生まれた女性)

 〔終戦後〕こゝのスンスラン村にはクロッカー山脈を越えてゼッセルトン市から日本軍に従つていたジャワ娘や、日本人の慰安婦が逃げ込んでいるのでした。その人達は、昼間は食糧の荒籾を土臼で脱穀する作業に使はれているのです。〔中略〕 この娘達の中に一人、ユーラシャンで五歳位の男の子供が交つていて娘達はその子供を本当に大切に可愛がつて連れているのです。そのユーラシャンの子供のことでわたしに話すのによると、「この

子はわたし達の友達のジャワ娘がオランダ人と結婚して出来た子供なのですが、オランダ人が戦争で日本軍に殺されてしまい、夫のオランダ人の財産を日本軍が取つてしまつたために生活に困り、ついに日本軍の女事務員募集に応じ、この子連れで北ボルネオ行の船に乗つたのですが、潜水艦に追われながらやつとこちらへ着いた処が、仕事は事務員ではなく日本兵相手の慰安婦だつたのです。初めは強硬に反抗したのですが子供を育てる為、ついにこの子の為にと泣く泣くあきらめて慰安婦になつたのです。然し、不運にも悪い病気にかゝり、それが原因ですつかり身体を悪くして到頭、ゼッセルトンの慰安所で働いている時、この子を遺して可愛そうに淋しく死んでしまつたのです。私たち達はあの可哀想なお友達がくれぐれも子供のことを頼んで死んだその遺言があるので、この白人の子供を育てゝいるのです。わたし達は日本がこの戦争に負けた今日になつては、この白人の子を育てゝいたことで、かえつて無事にジャワへ戻していたゞくためにイギリス軍に依頼する時、非常な利益を得られると思つている」と聞かせるのでした。

私の枕元へ連れて来たそのオランダ人とジャワ娘の混血児は、どう見ても白人の子と同様にしか見えない位なのです。

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