フィリピン ミンダナオ島コロニー
日本軍将兵の戦記
高野部隊戦友会『威第一五三九○部隊高野部隊ミンダナオ島戦陣記』1989年、私家版、一一一七七~三七八頁、
部隊は「コロニー」飛行場建設の任務を帯びて、その近くの民家を兵舎とし、上陸地点から荷物を運び、順次兵舎の体制を整えた。
(中略)
また、宿舎の一番奥の一軒を「酒保」とし、2階に外階段を設け、2階を「ベニヤ板」で六部屋に仕切り、寝台も作った。これは大工出身の小島武上等兵の労作であった。
なお、邦人通訳の森山さんの紹介を得て、武石主計少尉が内地から持参した女性用のワンピースの布を持参して、ダバオのボスを訪問し、「慰安婦」6、7名の幹施を依頼した。
一週間後に、ダバオのボスが指定した場所に、食肉受領の帰途、私達のトラックが立寄り、六人の現地人女性を連れて来た。
慰安所は小島上等兵の努力で二階に六部屋上り、一階の酒保開店から一週間遅れて、「コロニー」兵舎の「慰安所」はひそかに開店された。
料金は下士官・兵は一回「五十銭」将校は泊れるので「参円」とし、「突撃一番」のコンドーム使用を義務づけた。