ビルマ ピンマナ附近のインブーヤオミン

日本軍将兵の戦記

中武三「インブーヤオミンの木影」、「第五飛行師団経理官の集い」(五経会編『航空戦の蔭に』同会、東京都、一九六八年)三二八~三二九頁。

 渡辺愛三部隊長の在任当時、慰安所設営の提案があり、その万端準備中、内地帰還命令が出たが、後任部隊長、大築軍医、須藤准尉等で、開設方促進があり、須藤准尉は、一切を私に任せる、というので、私は、モンフラヂー〔部隊の通訳〕に現地女の募集を頼んだ。〔中略〕 慰安所施設は、医務室の石渡衛生曹長、大築軍医の御指示により、万端整った。問題は女共である。モンフラヂーが、女共、金になるんだ位の話しで、果たして集まるかどうか、心配していたら、四、五日して、候補者をひとりひとり連れて来た。結局の処、四人揃った。一応、須藤准尉、石渡曹長立会の上、慰安所なるものの話しをせねばならない。モンフラヂーが通訳と云っても、私の説得が良く通ずるかどうか。兵隊達のために、彼女達が公物化することを承知するかどうか。 しかし、程度の低い彼女達であるから、どうやら承知のコックリをしたので、医務室での検査を、石渡マスターに依頼して、いよいよ開設が出来た。 この慰安所は、ヤオミン〔集落名〕の任務を、三十四飛大〔飛行場大隊〕に申送る事となったので、二・三ヶ月で解散したと記憶する。 三十四飛大では、広東の娘子軍がついていた。私もこれに協力して、彼女達の稼ぎ場所を設営し、両部隊で使用してよろしい、との許可を貰った。

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