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日本軍将兵の戦記

元輔重兵第三十二連隊第一中隊戦友会八木会『我等の軍隊生活』一九八三年、私家版、一一九三頁、

縫工場の前を通り飛行場の方へ向って行くと右手に機関砲隊があり、その裏の方の湖畔に慰安所があった。縫工場の裏からも椰子の間を抜けて行く細い路が出来ており、だれが付けたか愛の細路とシャレた名前で呼んでいた。
部隊では将校、下士官が主に利用していたようであった。
慰安婦は三十名余りおり、その中の一人に源子名を清子(本名リナー)と名乗る十八才の若い娘を知り、よく遊びに行った。
彼女らは、セレベス島のメナドから、東印度水産会社の事務員にすると騙されて、ガレラに連れてこられ、慰安婦にさせられたそうである。
彼女らの女学生時代のセーラ服姿の写真を見せられたが、日本の女学生と同じ服装で、メナド人はミナハサ族といって色白で、日本人によく似た顔立ちで美人であった。彼女らは当時としては高等教育を受けた良家の子女達であった。

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