日本軍将兵の戦記
本和田武司『我が青春の迎春花』私家版、2000年
私が昭和十七年十月から十八年十月までを過ごした旧満州、半載河の駐屯地には、富士屋、花屋、蘭、他に屋号を忘れたがもう一軒を加えて全部で四軒の、現在言うところの「慰安所」があった。〔中略〕
「内地にいる家族の生活を守るためにお金で買われてここまで来た」と身の上を話す女性も多くいた。昭和初期の農村の不況はひどいものであった。その結果、長男以外は軍人を志願して食い扶持を減らしたり、娘を売って食いつないだ家も多かった。日本・朝鮮半島にも貧乏のどん底の時期があったのだ。