黒龍江省 平陽

日本軍将兵の戦記

真鍋元之『ある日、赤紙が来て』光人社、1981年

私が馴んだ慰安婦は、職業用の日本名をミサオと呼んでいた。生家は江原道のもっとも貧しい農家だったが、ある日突然村長がやってきて、「軍の命令だ。お国へのご奉公に、娘を差し出せ」という。ご奉公の意味がすぐにわかったので、父母は手を合わせ声の限りに哀号をくり返したが、村長は耳を借さない。この面へ八名の割り当てが来たが、面には娘が五人しかいないから、ひとりも容赦はならぬ。とニベもなく言い放つ。村長の背後では、佩刀を吊った日本人の巡査(警官)が、肩をそびやかせている。五名の村娘が、石コロのようにトラックに乗せられ、村境の土橋を渡ったが、故郷との別れであった。文字が書けないので、家族の安否を、手紙で問い合わせることもできない。

 

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