北ボルネオ ゼッセルトン

現地人の手記

山崎アイン『南十字星は偽らず』北辰堂、1952年。著者は、中国人の父とマレー人の母との間にサンダカンで生まれた女性で、1943に山崎剱二北ボルネオ司政官の愛人となり、戦後結婚した。これは、日本の敗戦後、北カリマンタン(ボルネオ)のスンスラン村に避難していた時の回想である。

〔終戦後〕こゝのスンスラン村にはクロツカー山脈を越えてゼッセルトン市から日本軍に従つていたジャワ娘や、日本人の慰安婦が逃げ込んでいるのでした。
〔中略〕この娘達の中に一人、ユーラシャンで五歳位の男の子供が交っていて娘達はその子供を本当に大切に可愛がつて連れているのです。そのユーラシャンの子供のことでわたしに話すのによると、「この子はわたし達の友達のジャワ娘がオランダ人と結婚して出来た子供なのですが、オランダ人が戦争で日本軍に殺されてしまい、夫のオランダ人の財産を日本軍が取ってしまったために生活に困り、ついに日本軍の女事務員募集に応じ、この子連れで北ボルネオ行の船に乗つたのですが、潜水艦に追われながらやつとこちらへ着いた処が、仕事は事務員ではなく日本兵相手の慰安婦だったのです。初めは強硬に反抗したのですが子供を育てる為、ついにこの子の為にと泣く泣くあきらめて慰安婦になったのです。然し、不運にも悪い病気にかゝり、それが原因ですつかり身体を悪くして到頭、ゼッセルトンの慰安所で働いている時、この子を遺して可愛そうに淋しく死んでしまつたのです。私たち達はあの可哀想なお友達がくれぐれも子供のことを頼んで死んだその遺言があるので、この白人の子供を育てゝいるのです。

 

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