大分県中津市
日本軍将兵の戦記
長田英夫「宇佐海軍航空隊の思い出」私家版。宇佐海軍航空隊付の主計中尉
(一九四四年)五月になって、別府湾に航空艦隊が入港するので士官の慰安所が必要になり、中津市内に二ヶ所急造する命令を受けた。さて慰安所とは何か、体の良い女郎屋ではないか、国海軍中尉が女郎屋造りもかと内心不満であったが、これもお国のためと諦めて中津の料理屋へ行く。女将に会うと芸者は全部木工場に徴用されているというので、早速工場へ出向き、モンペ姿の芸者を集めて海軍士官慰安所の説明と奉仕の同意を求めたが、全員賛同、但し「良質の紙の用意を」との申し出があった。当時、純情の小生「どんな紙かね」と聞いた所が一同爆笑する。女将に尋ねた所「中尉さんは女を知らんとね」と真顔でいうので小生は黙っていたのである。料理屋は「雲竜荘」「海竜荘」と命名されたが、設立者の小生は遂にその恩恵に浴することのなかったのが残念であった。