宮崎

日本軍将兵の戦記

池上秀高「海軍生活を顧みて」墨水会編『二年現役第五期海軍主計科士官戦記』同会、一九七〇年。第七六二海軍航空隊主計長(主計中尉)

宮崎の海軍部隊専用の慰安所は、士官と下士官兵用に区別されていて、周辺の陸軍部隊は絶対に立寄れないことになっていたので、以前から陸軍の反感を買っていたのであろう。士官用五軒、下士官兵用十数軒の料飲店のうち、士官用の方に蚊帳を貸与した処、陸軍の方で天皇陛下の需品を花柳界に貸与するとは怪しからぬ奴、と全部引上げて行ったので、特攻隊員が安眠休息するのに必要だから貸すのだと、即刻取り返して又貸与した為対立が表面化してきた矢先き、出雲大社基地に移動となり、慰安所は全部陸軍に明け渡して呉れるかと思いの外、士官の方二軒は部隊と共に出雲に移動し、其の他は全部此を機に廃業すると申し出てきたので、陸軍の追求が更に激化した。基地移動に女を連れて行くことは不当なり、司令部に報告するぞと申し入れてきたので、私も鹿屋にあった第五航空艦隊司令部に持込んだところ、艦隊主計長は私の中学の先輩で明快な御仁であったが、「ヤレ!! ヤレ!! 五航艦司令部が承知したと言え」と激励して呉れたので、地元警察の多少の反対も押し切って、前記二軒を同行させることにした。出雲今市で料亭二軒を解放して貰い、改修の上これに入居させ、八月十一日開店の披露宴を市関係者と士官室全員招待の上開催したが、念々明日から開業という八月十五日終戦となったことは心残りの人も居たことだろう。

 

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