ビルマ シッタン河畔
日本軍将兵の戦記
斎藤新二『軍楽兵よもやま物語 第二十八軍軍楽隊ビルマ戦記』光人社、1995年。第二八軍司令部軍楽隊兵長。
〔一九四五年七月二八日、キョウサン渡河点附近のシッタン河畔で、渡河すべきシツタン河を見ると〕すでに滋死しているのか、おびただしい川藻にまじって、流される兵隊もかなりの数になる。なかには黒髪を乱して流される女性の死体もある。看護婦であろうか。痛ましく、悲しく哀れだ。戦局から見れば、少なくとも女性は事前に安全地帯に退避させるべきではなかったか。わたしには大きな疑問として心に残る。
なかでも哀れを誘うのは、慰安婦の集団だった。体を張って稼いだ軍票の束を、後生大事と体にくくりつけて兵隊同様、筏を河に乗り入れた。水をふぐんだ札束は、あまりにも重かった。まして女のやさ腕で、激流に立ち向かうのは過酷すぎる。なぜ傷病兵といっしょに舟で渡さなかったのか。彼女らはことごとく水に流された。
メザリのバンガローで彼女らが、一抱えもある札束を、日に当てて乾かしているのを見たが、おそらく背嚢一杯はあったのではないか。