タイ チュンポン

日本軍将兵の戦記

堀井清兵衛(連隊本部)「スマトラの現地除隊者のこと」、近衛歩兵第五聯隊史編集委員会編『近衛歩兵第五聯隊史』上巻。近歩五会、一九九〇年

 これより先、中原中隊長は、伊藤少尉並びに出入商山田某を伴い、盤谷の軍司令部に申告と現況報告をすると、新しい命令を受けた。
一 第一中隊ハ「チュンポン」— 「カオフォーチ」道沿ヒニ中隊ノ兵舎ヲ建テ兵カノ一部ヲ「カオフォーチ」二派遣シテ兵靖業務二任ズベシ
二「チュンポン」二慰安所ヲ開設スベシ
第一項は予想された事だが、第二項には面喰う。少なくとも我々は「近衛」の誇りを持っている。殊に、中原中隊長は神宮皇学館出身の高邁な方である。しかし命令では仕方がない。出入商を帯同したのが幸いし、即日、従業員募集、翌日十数人の婦女が集まった。
帰隊後、楼屋の買収、造作、運営の一切を業者に委せたが、指導監督は中隊で引受けざるを得なかった。開業の時点で多数の部隊が駐留していることが分かり、中隊は巡察を厳にした。

 

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