ジャワ島 スマラン
<strong>日本軍将兵の戦記</strong>
日比野秀夫『南方に生きる男』私家版、1996年。スマラン州庁財務課長
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戦勝気分というか驕りというか、軍はスマランで大変なことをやってしまった。オランダ人の男子はジャティンガレ抑留所に入れ、婦女子はチャンデ・ラマの坂の下、ランペルサレの一画の民家に分散隔離して一般人の立入禁止区域としていた。
その後、婦女子は戦前にあった高橋農園(バンドンガン、アンプルガーデン)の更に奥、スモオノ(開戦時在留邦人が豪州に送られる前一時収容された元蘭印軍実弾射撃場兵舎)に移された。一度長官のお供で視察に行ったが、女、女ばかりでムンムンする雰囲気で目をそむけるものがあった。そこに集められている女性や東部ジャワ方面からもどのような甘言で誘い出して連れて来たのかチャンデー・バルーに将校慰安所が出来た。オランダ女性ばかり集めた慰安所である。オープンの日にどんなものかと見に出かけた。入ってみて驚いた。ニコニコして将校とビールを飲んでいる年増、部屋の中でワンワン泣いている若い女、一番驚いたのは裏庭の本に登って気が狂ったようにわめき泣き叫んでいる女、これを見た時は興味半分で出かけて来た気分も萎え、早そうに引揚げ、三度と足を踏み入れなかった。その後、どうなったか知らぬが、この慰安所の設営に関係した人達は戦犯として処刑されたと聞いた。なんと無茶なことをしたことであろうか、スマランにはもう一つ慰安所がホテルパビリオンの裏通りにあって、ここには朝鮮人や現地人の女性がいた。