日本軍将兵の戦記
片桐和嘉「陸軍最後の戦闘機のパイロットとして」多摩市遺族会編『忘れてはならない語り継ぐ戦争体験』同会・一九九八年
クラコールは人里からかなり離れているので、兵隊たちは外出ができない。慰安所もない。司令部に慰安婦派遣の申請をする。しばらくして朝鮮の女性が班長として慰安婦が二十名位派遣されてきた。
兵隊達は大喜び、直ぐに慰安所ができた。私たち少年には許可が出ないが、兵隊達は生き生きとしている。女性たちは日本名のハナコ、キミコ等の名前が付けられていた。マラリヤ、デング熱、またチブス、赤痢等で脱落していくものがかなりの数であった。
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