インドネシア バリ島
日本軍将兵の戦記
「終戦直後バリ島で自決 三浦譲」(富士の語りべの会編『二十世紀を生き抜いた証言者の群れ 富士の語りべの記』第一〇集、同会、富士市、二〇〇八年、67頁
〔前略〕終戦直後に、侵略戦争の責任を負い、自ら命を断つことで罪を償った日本人がいました。その名は「三浦ジョー」。 一九四五年九月七日、インドネシア、バリ島でビストル自決しました。〔中略〕
「大東亜共栄圏」の理念を信じて〕島民の協力を得てきた三浦にとつて、どうしても納得できない問題が起きた。その一つが「慰安婦の募集」でした。また、バリ島だけでも約六千人が強制労働で島外に送られ、解放者であるはずの日本の素顔が暴露されていつたのです。大東亜共栄圏の理想と嘘と、バリ島民の間に立っていた三浦ジョーの立場は非常に苦しいものでした。日本の戦争責任者等は「あの時は仕方がなかった」と責任から逃れようとしていますが、三浦ジヨーの場合は、自分が加害者であったということで、「自決」という形で責任をとつたのだと思います。