【被害者証言】マリア・ロサ・ルナ・ヘンソン(フィリピン)

  • ヘンソン-s (2)1927年12月ルソン島パサイ市生まれ
  • 連行年(年齢): 1943年4月(15歳)
  • 連行先: アンヘレス市の日本軍が駐屯していた病院

証言概要

■14歳の時、日本兵に強かんされました

私は、アンヘレス市に住む代々続いた大地主の父と、その屋敷にメイドとして働いていた母の間に生まれました。母とパサイ市に住み、小学校に通っていました。

1942年、私が14歳の時のことです。マッキンレー要塞の近くで薪を集めていた時、サーベルを持ったタナカという日本軍の大尉と2人の日本兵に強かんされました。出血のために歩けなくなった私は通りがかった農民に助けられ、2日後に家に帰ることができました。まだ初潮前でした。
約2週間の休養後に体調が戻ったので、また隣人や親類たちと薪集めをしていたところ、待ち伏せをしていた同じタナカ大尉に掴まり強かんされました。そこで二度とこのような目に遭わないように母の故郷のパムパン村に移り住むことにしました。

■日本兵に捕まり、耐えがたい日々が続きました

私は日本軍に対する怒りから、抗日ゲリラ組織のフクバラハップに加わり、薬や古着や食料を集める役割を担当していました。1943年 4月のある日、他の2人と一緒に水牛の荷車を引いて、アンヘレス市ヘンソンストリートにある病院の前の検問所を通過しようとした時、私だけが日本兵に呼び止められ、日本軍の駐屯地になっていた病院に連れていかれて監禁されました。
そこには他に6人の少女がいました。私たちはそこで兵士たちのセックスの相手をさせられました。一日20人から30人もの日本兵の相手をさせられ、3カ月間、息つく暇もなく、彼らの性の慰み者にされました。まだ幼かった私にとって、苦痛に満ちた耐え難い日々が続きました。
3カ月後、約100メートル離れた元精米所の建物に連れて行かれ、ここでも昼夜を問わず日本兵の相手をさせられました。いつも見張りがいて外には出られませんでした。また、他の少女たちと言葉を交わすことも禁じられていました。週1回位の割合で医師の検診を受けました。私はマラリヤにかかり高熱が続きました。マラリアに効く錠剤を毎日飲んで、1週間たったころ、私は大量に出血しました。私は自分でも知らないうちに妊娠していて、流産してしまったのです。

1944年1月のある日、日本軍が母の住んでいる村を焼払うと話しているのを聞き、それを村人に知らせたため、銃剣で殴られ、鎖でつるされて拷問されました。ゲリラが精米所を襲って、気絶していた私を助け出してくれましたが、約2カ月間も意識を失っていました。
数年は幼児のように這って歩く状態が続き、マラリヤと拷問のせいで口と顎が変形し、障害が残りました。

■戦後、PTSDに苦しみました

戦後、母に勧められて結婚しました。夫にはレイプされたことは話しましたが、「慰安婦」にされたことは話すことができませんでした。
3人の子どもが生まれましたが、夫は反政府ゲリラに加わり、国軍との銃撃戦で死んでしまいました。私は子どもを育てるために洗濯やアイロンかけや縫い物の仕事をして必死に働き続けました。しかし日本軍に捕らえられていた時のことを思い出したり、恐ろしい夢を見ると、数日間はぼんやりしてしまい、体調を壊します。

■二度と繰り返さないために名乗り出たのです

1992年9月のある日、ラジオで「慰安婦」となった人を捜していると聞き、衝撃を受けました。体中が震え、血が真っ白になるような気がしました。「フィリピン人元『慰安婦』のための調査委員会」(タスクフォース)というグループが私のような人を捜していることを知りました。
「恥ずかしがらないで。性奴隷になったのはあなたのせいではなく、日本軍の責任なのです。立ち上がって、自分の権利のために闘いましょう」と言っていた言葉が忘れられません。
9月になって私はまだ迷っていましたが、すべてを知った娘がタスクフォースに連絡してくれました。すべてを話した時、肩の重荷を下ろしたような、心からトゲを抜き去ったような気持ちでした。私に何が起こったかを伝え、二度と繰り返さないために名乗りでたのです。
それから私はフィリピンで最初に名乗り出た被害者として、ラジオで仲間に呼びかけ、日本政府を訴える裁判の原告にもなりました。日本政府は元「慰安婦」が生きている間に誠意をもって謝罪し、適正な補償を行うべきです。私は日本の将来を担う世代が、歴史を正しく理解することを希望していますし、必ずそうしてくれると信じています。(1997年8月永眠)

戦後補償国際公聴会

1992年 12月東京で開かれた「日本の
戦後補償に関する国際公聴会」で証言するロサさん(撮影:柴崎温子/協力:wam)

【参考文献】
・マリア・ロサ・L・ヘンソン『ある日本軍「慰安婦」の回想』岩波書店 1995年
・フィリピン「従軍慰安婦」補償請求裁判弁護団(編)『フィリピンの日本軍「慰安婦」性的暴力の被害者たち』明石書店 1995年
・The Task Force on Filipina Victims of Military Sexual Slavery by Japan『War Crimes On Asian Women:  Military Sexual Slavery by Japan during World War II』1993年
・アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」(編)『フィリピン・立ち上がるロラたち~日本軍に踏みにじられた島々から』‘wam カタログ9 2011年

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