【元日本兵】鈴木良雄

鈴木良雄(イラスト)_s

  • 1920年7月11日生まれ
  • 1940年 独立混成第一〇旅団独立歩兵第四三大隊。
  • 隊第二中隊に入隊。中国山東省に駐屯1942年~ 第五九師団第五四旅団第一一〇大隊歩兵砲中隊に転属。山東省菜蕪県、章邱県、兎城県を転戦。最終の地位は曹長。
  • 1945年7月 北朝鮮に移動 10月 シベリアに抑留
  • 1950年7月 中国の撫順戦犯管理所に収容
  • 1956年7月 不起訴で帰国

 

●証言概要
*鈴木良雄氏は、2000年に開かれた女性国際戦犯法廷で証言した。以下はその時の証言概要を整理したものである。映像はこちら

慰安所体験

私が1940年に入隊した時は、すでに慰安所は各地に敷設されていました。4箇所を回りましたが、一個大隊が駐屯する時は必ず2箇所以上の慰安所があり、そこには朝鮮の人たちがいました。たいてい、1軒に5人~6人の「慰安婦」がおりました。
慰安所の管理についてははっきりしたことは分かりませんが、週に一回、軍医が身体検査を行っていました。それは性病の検査でした。そして検査の結果を会報で兵隊に知らせていましたので、管理は軍隊がやっていたものと思います。私はその慰安所に行ったことがあります。

女性たちはどのような経緯で連れてこられたか聞いたことがあるか?

私は最初のうち、彼女たちは金儲けのために自分の意思で、好きで商売のためにやっているものと考えておりました。私が慰安所に通うようになったのは1944年頃です。戦況が不利になって、どうせ生きては帰れない。それだったら、男として生まれた以上、一通り、女遊びもやっておこうと考えが変わりまして、慰安所に行くようになったのです。
その頃私は下士官になっており、補充兵を教える立場でした。彼らはみな妻帯者で30歳以上の兵隊ですので、教育期間であっても慰安所に行くことを奨励していました。そこには2軒の慰安所がありました。
私は下士官になってから、兵営の土塀に穴を開けまして、昼間は草かなんかで隠しておいて、夜になるとそこから毎晩慰安所に通うようになりました。ある特定の1人の女性のところに行くようになったのです。その人は朝鮮の方で、日本名を「みさお」と言っていました。
彼女から身の上話を聞きました。彼女は、従軍看護婦になると聞いて応募してきたのですが、最初から「従軍慰安婦」にさせられたということでした。悲しくて悔しくて泣いていました。どんなことがあっても逃げて帰れるものなら帰りたいと、泣きながら話しました。その時私は好きでやっているのではない、強制的に連れてこられたのだということを認識したのです。

強かんを目撃、あるいは関わったことがあるか?

軍隊では、戦場で強かんはつきものでした。日常茶飯事というくらいでした。日本軍は中国の地域を、治安地区・準治安地区・敵性地区と3つに分けていました。治安地区はうるさいので強かんはできませんでしたが、八路軍が沢山いる敵性地区では、強かんはやりたい放題でした。というのは、敵性地区に入った時、指揮官がここは敵性地区だから何をやってもよろしい、という指示を出したのです。何をやってもよろしいということは、強かんしても良いということでしたので、兵隊は誰もかれも女性を見つければ強かんしました。

私自身もその体験があります。1944年、部落の名前は忘れましたが、作戦中、一日近くある部落に滞在したことがあります。その時私は分隊長をしていましたが、全部解放して、何をやってもよいという指示を出しました。彼らはそれぞれの家に入り、強かんをしてきました。
私も単独で女を探し回って、30歳くらいの女性を見つけました。その女性を、7、8人の老婆が取り囲んでいたので、老婆を追い出してその女性を強かんしようとしたところ、その女性は隠れてしまい、見つかりませんでした。一生懸命に探したところ、豚小屋に隠れていました。中国では豚小屋は便所を兼ねており、その女性はそこに隠れて汚物をたくさん身体につけて、そばに近寄れないような格好をしていたのです。

私はそれを見た時に、その衣服を全部脱がせて全身裸体にして納屋に押し込めて強かんしました。その時の状況ですが、私は拳銃で女性を脅迫していたので、彼女は逃げることも抵抗することもできず、わなわなと震えて、身体には血の気は一切ありませんでした。口をきくこともできない。ただ、私の言うままに身体を任せるだけでした。だから戦場における強かんは、絶対に抵抗できない人を無理やり強かんし、しかもその後、殺したというのが実情だと思います。

なぜ、証言する気持ちになったのか?

性暴力の問題については、なかなか言えないものです。したがって、証言する人も非常に少ないのです。しかし、この問題を抜きにしては戦争の実態は出てこない、伝わらないと思います。本当の戦争の実態はこういうものだということをはっきり残さないといけない、そういう気持ちがありますので、私は恥を忍んで証言しております。

●参考文献

・VAWW-NETジャパン編『女性国際戦犯法廷の全記録Ⅰ』緑風出版2002年
・鈴木良雄「戦場で強姦は日常茶飯事だった」『季刊 中帰連』16号2000年春
・アクテイブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」編『中学生のための「慰安婦」展』(特別展パンフレット)

目次