3-4 「強制」を裏づける文書はないの?

目次

公文書だけが資料ではない

ビルマ・マンダレーの日本軍文書(ビルマでイギリス軍に押収されてイギリスに持ち帰って保存しているのを、関東学院大学林博史教授が見つけて紹介したもの)

「日本軍によって女性がその意思に反して売春を強制されたことをはっきり示した歴史文書はない」 (『THE FACTS』ワシントン・ポスト、2007年6月14日号)などという言い方をする人たちがいます。はたしてそうでしょうか。強制をめぐる問題については別の項目で取り上げますが、ここでは資料としての文書、という問題に限定して考えてみましょう。

まず事実を証明する資料という場合、公文書だけが資料ではありません。個人の文書や証言も立派な資料であって公文書がとくに重要な資料であるということはありません。どのような資料であれ、資料批判が必要です。たとえばその資料は、誰が、いつ、誰に対して、何の目的でつくったものか、などを吟味してから利用します。公文書の場合、国家(あるいはその問題を担当している政治家や官僚自ら)を正当化するために都合の悪いことは隠し、美辞麗句を使って、もっともらしく書いていることがしばしばあります。

日本軍「慰安婦」にされた女性たちがどのように集められ、慰安所でどのような扱いを受けたのか、当の元「慰安婦」の女性たちの証言や元兵士の証言がたくさんあります。

仮に、公文書に限定してみた場合ですが、「慰安婦」にするために女性を無理矢理でもいいから連れて来いというような文書は出てきていません。その理由の一つは、あとで問題になるような文書は作らないということがあります。命令や指示の文書は抽象的なことが多く(お役所の文書は今でもそうですが)、具体的なことあるいは大事なことは口頭で説明されることがよくあります。公文書という性格から日本軍「慰安婦」制度の汚い本質はなかなか出てこないということが指摘できるでしょう。

ビルマ・マンダレーの日本軍文書(ビルマでイギリス軍に押収されてイギリスに持ち帰って保存しているのを、関東学院大学林博史教授が見つけて紹介したもの)

官房長官として「河野談話」を出した河野洋平さんは『朝日新聞』のインタビューに答えて(1997年3月31日付)、「本人の意思に反して集められたことを強制性と定義すれば、強制性のケースが数多くあったことは明らかだった」。「こうした問題で、そもそも『強制的に連れてこい』と命令して、『強制的に連れてきました』と報告するだろうか」。「当時の状況を考えてほしい。政治も社会も経済も軍の影響下にあり、今日とは全く違う。国会が抵抗しても、軍の決定を押し戻すことはできないぐらい軍は強かった。そういう状況下で女性がその大きな力を拒否することができただろうか」と語っています。非常にまっとうな、良識ある理解でしょう(良識というよりも、常識的であるだけなのですが、常識的であることが、いまの日本では良識があると思われるほど、日本社会が異常なのかもしれません)。

重要な資料が大量に処分された

もう一つは日本軍や政府の重要な資料は敗戦直後に大量に処分されてしまったということです。陸軍の場合、1945年8月14日から文書の焼却がはじまり、すべての部隊にも焼却命令が出されました。警察を管轄していた内務省も同じように文書を焼却するように各府県に指示しています。
たとえば、「慰安婦は商行為」だと言っていた奥野誠亮元法務大臣は、敗戦時に内務省の事務官でしたが、戦後に行なわれた座談会で次のように語っています。

「公文書は焼却するとかいった事項が決定になり、これらの趣旨を陸軍は陸軍の系統を通じて下部に通知する、海軍は海軍の系統を通じて下部に通知する、内政関係は地方統監、府県知事、市町村の系統で通知するということになりました。これは表向きには出せない事項だから、それとこれとは別ですが、とにかく総務局長会議で内容をきめて、陸海軍にいって、さらに陸海軍と最後の打ち合わせをして、それをまとめて地方総監に指示することにした。15日以降は、いつ米軍が上陸してくるかもわからないので、その際にそういう文書を見られてもまいから、一部は文書に記載しておくがその他は口頭連絡にしようということで、小林さんと原文兵衛さん、三輪良雄さん、それに私の四人が地域を分担して出かけたので。」

つまり、公文書の焼却をするために地方をまわったこと、しかもそういう指示を文書で出すと「まずい」ので、口頭で行なったことを座談会でしゃべっています。

 戦後、日本政府は米軍向けの慰安施設、RAAを設けますが、その時に東京でのRAA開設を担当した警視庁経済警察部長は、実際に慰安施設づくりを部下の保安課長や係長に命令した際に、「これは警察本来の職務とは違うので、すべて口頭の命令でやること」「書面を残すな」と強く念を押しました。その係長は、この問題にかぎらず、「売春関係はほとんど口頭の命だった」と語っています。

官僚組織が―軍隊というのは典型的な官僚組織ですが―、あまり表沙汰にしたくないことをやる時には、文書に残さず口頭で処理するのは、ごく普通のことです。
いわば証拠隠滅の実行犯が、「強制」を示す文書がないといって開き直っているのが現状です。

こうした組織的な文書廃棄によってたくさんの公文書が失われました。日本軍関係の文書で現在私たちが見ることができるものは、一部の軍人が焼かずに密かに隠して取っておいたものか、米軍や英軍が戦場などで没収したものであって、全体のごく一部にすぎません。

公文書は重要な資料ではありますが、あくまでも資料の一部であり、現実の一側面を示すにすぎません。それだけでなく国家あるいは官僚や軍幹部にとって都合の悪い、あるいは見たくない問題は隠されています。

同時に、都合の悪いことが書いてある場合には、文書があっても公表しないということがあります。とくに日本の場合、情報公開法ができたので現用文書(現在、官庁で使用している文書)についてはある程度、わかるようになりましたが、歴史文書についてはよくわからない状況があります(以前よりはかなり改善されてきていますが)。

民主主義国では30年、あるいは一定の年数をすぎた公文書は公開するのが原則となっています。当然日本でも戦前戦中ならびに戦後処理に関わる文書はもうすべて公開すべきです。

(2014年10月24日更新)

目次