「証言の度に話が変わっている」「陸軍や他の政府機関によって強制的に働かされたという言及はない」(『THE FACTS』ワシントンポスト、2007年6月14日)など、被害者の証言を否定するような主張があります。しかし、当初の証言になかったからその事実はないと言い切れるでしょうか? また、証言が変わるから証言自体、信用できないと言えるでしょうか? ここでは被害者証言への向き合い方について考えてみます。
記憶とトラウマ
まず、証言全体をみて言えることですが、たしかに被害女性の証言には、「いつ」「どこで」「誰が」などが曖昧なものもあります。中国や東ティモールの被害女性をはじめ被害証言のなかには、自分の生年月日すらはっきりしないものもあります。また、連れて行かれた所が中国だとはわかっても、地名まで覚えていないケースもあります。
たとえば、文必琪さんの場合、汽車に乗せられて日本軍の慰安所に連れて行かれますが、新義州を経て「満州」に入ったことは覚えていても、自分が入れられた軍慰安所があった土地の名前や、その軍慰安所を使用していた部隊名を思い出すことができません。
しかし、慰安所の詳しい説明や、日本兵が大勢来たこと、軍人が慰安所の歩哨に立っていたこと、どのようにして連れて行かれたかなど、驚くほど詳細に記憶していることもあります。彼女が詳細に語る「自分の身に何があったのか」のなかにこそ、長い時間を経ても忘れることのできない痛みと苦痛の体験があるのです。たとえ一部分の記憶が抜けているとしても、固有名詞を記憶していないとしても、だからと言って証言全体を信憑性がないとして切り捨てることはできません。
記憶の問題は、長い年月が経ったことにより忘れてしまうということもありますが、それだけではありません。たとえば朝鮮女性の場合、日本の植民地支配下、とくに女性であったことも手伝い、女性の普通学校の完全不就学率は1932年の時点で91.2パーセントにまで及んでいます。学校教育を十分に受けることができなかった結果、字が読めない女性も少なくなく、文字としてではなく、耳で聞いた音の記憶に頼らざるを得なかったということもありました。被害女性の証言を聞く時、そのような状況への理解も必要です。
一方、記憶の断片化、記憶の断絶は、女性たちの被害の大きさでもあるのです。記憶の断片化について精神科医の桑山紀彦さんは、「一つ一つの記憶は非常に鮮明であるにもかかわらず、その相互、あるいは時間的な前後の繫がりがはっきりしないという現象である」と説明します。また、トラウマの本態については、「人間が経験する上で著しい苦痛を伴い、生きる希望を打ち砕き、大切な人間関係を崩し、二度と立ち直れないかと思うほどの出来事に遭遇してこころが傷ついたその状態をいう」としています。
ジュディス・L・ハーマンさんによると、これはトラウマを持つ人の外傷性の記憶の特徴です。初めて口を開いた時、被害女性はまだ重いトラウマを背負っています。つじつまが合っていないと思われるようなぶつ切りの断片的な証言がなされるのはPTSD(心的外傷後ストレス障害)の症状でもあるのす。しかし、自分の話をきちんと聞いてくれる人がいるという「安全の確保」(想起と服喪追悼、再結合と共ともに回復過程の一つ)がなされるなかで、次第に凍りついた記憶は解凍していくのです。
1990年代になり、女性たちが沈黙を破り自分の身に起きたことを語りはじめたのは、ハーマンさんによれば「回復過程」です。自分の体験を危害を加えずに聞いてくれる人がいるという環境の変化は、被害回復への扉を開く一つのきっかけになったと言えます。そうした女性たちの証言に対して「でっちあげだ」「お金が欲しくて噓を言っている」などとただ攻撃するのは、被害女性にさらなる暴力を加えることにほかなりません。
金学順さんの証言をどう見るか?
しばしば金学順さんの証言について、提訴した時の訴状に書かれた連行状況とその後の証言とニュアンスがちがうとか、妓生(キーセン)だったことを隠していたなどをあげて証言を否定する人がいます。そもそも前身が妓生だった否かが「彼女」の被害を否定するものではありません。秦郁彦著『慰安婦と戦場の性』(新潮社、1999年)では、「金学順証言の異同」という表が掲載されています。このなかの「f 慰安婦にされた事情」ではABCとそれぞれの「連行」証言が書かれていますが、これを「矛盾」と言えるでしょうか。Aは「北京の食堂で日本将校にスパイと疑われ養父と別々に、そのままトラックで慰安所へ。……」、Bは「Aに同じ」、Cは「養父をおどして日本兵が慰安所へ連行、……」とあります。この場合の「異同」の「異」をあげるとしたら、「養父をおどして」の部分ですが、「スパイと疑われ」のやりとりのなかで養父が脅されたということであったとすれば、まったく相反する証言ではありません。しかも、養父とバラバラにされていた金さんが日本兵にトラックに乗せられ慰安所に連行されたのは違いないわけですから、証言のたびに内容が異なるとは言えません。証言を重ねるなかで思い出されたり、鮮明になることもあるでしょう。当初の証言になかったからといって証言を全面的に否定することはできません。
また、「慰安婦」にされた女性が妓生であったかどうかは関係ないのです。無理やりトラックに乗せて慰安所に連れて行ったということが、連行の問題です。仮に本人が知らないところで養父が彼女を軍人に「売った」というのであれば、日本軍が未成年の女性の人身売買に関わったことになります。そうであれば当時の刑法に違反する犯罪であり、それはそれで重大な問題です。刑法第二二四条「未成年者略取及び誘拐」には、未成年者を略取又は誘拐してはならないとしていますし、第二二五条(営利目的等略取及び誘拐)は、営利、わいせつ又は結婚の目的で、人を略取又は誘拐してはならないとしています。
「河野談話」も歴代総理も「証言」にみる強制性を認めてきた
「河野談話」は、「慰安婦」の徴集と慰安所における強制性を認めています。談話を発表した河野洋平さんはその理由について、16人の被害女性から話を聞いたが、「明らかに厳しい目にあった人でなければできないような状況説明が次から次へと出てくる。その状況を考えれば、この話は信憑性がある。信頼するに十分足りるというふうに、いろんな角度から見てもそう言えるということがわかってきました」と話しています。
「河野談話」発表以来、第一次安倍内閣を含めて歴代の内閣総理大臣は、「河野談話」を踏襲してきました。「強制」を認めた説明として政府は、「政府が調査した限りの文書のなかには、軍や官憲による慰安婦の強制募集を示すような記述は見当たりません。総合的に判断した結果、一定の強制性があるということで判断した」と、答弁してきました。いわば、歴代政府も被害者の証言を認めてきたのです。
責任の所在を立証するのは被害女性ではない
そもそも、被害女性に、自分が入れられた軍慰安所を誰が管理・監督していたのか、誰の命令で設置されたのか、誰の命令で自分たちはそこに連れて来られたのか、事実関係の立証を求めるのは無理な話です。彼女を直接騙したのが警官や区長、業者だったとしても、誰が集めるように指示したか、「首謀者」「命令者」については、彼女たちは知る由もないからです。
このように、責任の主体が被害女性の証言に出てこないからといって、その事実はないと言うことはできません。むしろ、被害女性たちの数々の証言を通して見えてくるものが何であるのかを明らかにすること(真相究明)は、被害者ではなく、日本政府の責任です。
(2014年10月24日更新)