2-5 軍慰安所はどこの国にもあったの?

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日本だけが悪いわけじゃない?

ほかの国の軍隊にも日本軍慰安所と同じようなものがあったので、日本だけが悪いわけではないという言い方をする人たちがいます。はたしてそうでしょうか。

第一に、一般に軍が軍人らの性の相手をする女性に性病検査などを行ない、統制するのは軍人・軍属の性病予防が理由です(効果があったかどうかは別です)。しかし日本軍の場合、「慰安婦」導入の大きな理由が、日本軍人による、中国の地元女性に対する強かん事件が頻発していたことです。そして軍慰安所をつくったから強かん事件が減ったかと言うと、逆でした。軍慰安所は前線まで十分には設置されなかったため、末端の部隊では女性を拉致してきて監禁強かんをする慰安所もどきがつくられ、あるいは慰安所に行くとお金がかかるが強かんならタダだと強かんを促す要因にもなりました。

第二に、もっと大きな違いは、日本軍「慰安婦」制度の場合、慰安所設置計画の立案(設置場所や必要人数の算定など)、業者選定、依頼、資金斡旋(業者抜きに軍が直営する場合もある)、女性集め(朝鮮・台湾や日本本土では警察の協力・身分証明書の発行、占領地では軍が直接間接に実施または支援)、女性の輸送(軍の船やトラックを提供)、慰安所の管理(直接経営または軍が管理規定制定、その管理下で業者に経営委託)、建物・資材・物資の提供(軍の工兵隊が慰安所建物を建設することも)、などすべての過程において軍の管理下に置かれ、あるいはしばしば軍が直接実施していることです。ここまで完全に軍の管理下に置かれているケースは、ナチス・ドイツの例を除いて、ほかの国ではまずありません。

米軍やほかの軍隊の場合でも、軍の周辺に来た女性たちを集めて、いわゆる売春婦として管理することはありましたが、その場合にも米軍が集めたわけではなく、米兵が何人いるから女性が何人必要で、だからこれだけ女性を調達して来いなどということを軍がしているわけではありません。米軍は物資や食べ物は豊富なので、戦場のなかでも人が集まってくる。それを管理するということであって、日本軍と同じとは言えないでしょう。

2-2-5b 本 圧縮第三に、米軍の場合、軍が売春宿の利用を認めていることが本国にわかった場合、教会や議員たちから抗議を受け、軍中央はただちに閉鎖させる措置をとっています。本国世論が認めなかったのです。米軍が現地で、たとえば売春宿を認めたりすると、兵士が郷里の教会の牧師に手紙を書き牧師が国会議員のところに手紙を持って行って、国会議員が軍を追及する。すると、軍では、そんなことは絶対認めていないと、すぐ現地に、売春宿を閉鎖しろ、オフリミッツにしろという指令が出る。あるいは、チャプレン(従軍牧師)が、けしからんと怒るのです。

米軍の場合、本国の世論、国会議員や彼らの地元の支持者、それに教会などからの批判を意識せざるを得ません。このあたりは、日本軍とはずいぶんちがいます。

しかし、日本軍は公然と慰安所を設置・運営しました。日中戦争がはじまった直後に陸軍の「野戦酒保規程」が改正され、戦地において将兵のために日用品や飲食物を販売するにおいて、「必要なる慰安施設」を設置できるようになりました。つまり、軍が公然と慰安所設置・運営を行なっていたのです。

これまで明らかにされているところでは、第二次世界大戦の時に、組織的に軍慰安所を開設し利用したのは、日本軍とドイツ軍(ナチス親衛隊SSを含む)だけだとみられます。

(2014年10月24日更新)

2-2-5a 史料

【説明】海南島の海軍慰安所についての台湾拓殖会社の資料があります。海南島における慰安所の設置は、1939年に占領した後、陸軍・海軍・外務省の3省の連絡会議によって計画されました。そこでは、台湾総督府を通じて、海南島への進出をはかった台湾拓殖会社に慰安所設置、慰安婦の徴集を依頼しました。台湾拓殖会社は、台湾総督府、外務・大蔵・陸海軍などの各省の協力をえて設立された会社であり、半官半民の国策会社でした。この事例は、慰安所設置が、陸海軍だけでなく、外務省、台湾総督府さらには政府の支援を受けて設立された国策会社をも巻き込んでおこなわれたことを示しています。

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