5-3 業者が「人身売買」で徴集・連行したから日本軍に責任はない?

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「やったのは業者」で、「慰安婦は人身売買の犠牲者」?

 「慰安婦」徴集について、軍・官憲による「強制連行」の否定とセットで、「やったのは業者だ」という主張があります。1たとえば国会でも安倍首相は、「慰安婦狩りのような官憲による強制連行的なものがあったと証明する証言はない」が、「間に入った業者が事実上強制していた広義の強制性はあった」(参議院予算委員会2007年3月5日)と、答弁しています。また、2015年4月の訪米前後の米紙ワシントンポストのインタビュー(2015年3月27日)やハーバード大学での講演(2015年4月27日)などで、安倍首相は「慰安婦は人身売買の犠牲者」と語っています。

 「やったのは業者」というのと「慰安婦は人身売買の犠牲者」というのは、実は同じ認識の裏表です。その要が、2007年と2012年に米紙に掲載された強制性を否定する意見広告2にある「慰安婦は性奴隷ではない。世界中で認可されていたありふれた公娼制度の下で働いていた女性たち」という主張です。

 安倍首相の「(「慰安婦」は)人身売買の犠牲で心が痛む」というインタビュー発言の意図について、『産経新聞』は、政府高官の「人身売買には日本語の意味として強制連行は含まれない3」 という話を紹介したうえで、「旧日本軍や官憲による強制連行説とは一線を画す意図もあったとみられる」と解説しています。現文部科学大臣の下村博文氏もかつて、「慰安婦がいたのは事実だが、私は″一部の親が娘を売った”とみている4」 と語っています。

 これまでの発言から考えると、安倍首相は「慰安婦」は親に売られた人身売買の犠牲者で「心が痛む」が、彼女たちは商売=商行為の女性たちで強制ではなく、人身売買をしたのは軍ではなく親であり、軍に責任はない、と言いたいようです。

『スターレッジャー』掲載の意見広告2012年11月4日

安倍首相「人身売買」発言の意味とは

 ここで押さえておきたいのは、安倍首相が使った「人身売買」は、国際社会では女性・児童の売買禁止に関する国際諸条約や「国際組織犯罪防止条約人身取引議定書」などで使われてきた「ヒューマン・トラフィッキング」(人身売買または人身取引と訳される)と理解するほかないということです。

 国際社会で使われる「ヒューマン・トラフィッキング」には、女性の人権に対する侵害という意味があり、安倍首相は、日本が加入していた婦人・児童の売買禁止に関する国際条約に違反していたこと、および日本には人身売買を防止する義務があったことを、事実上認めたことになります。

 こうしてみると、対外的に「慰安婦は人身売買の犠牲者」と言い、対内的には「やったのは業者だ」として「強制性」「性奴隷」を否定し、軍の主体責任を朝鮮人女性の親や業者に転嫁するという、内外の使い分けはやがて破綻するでしょう。

「人身売買」なら軍に責任はない? 

 安倍首相が内向きに言う、「人身売買なら日本軍や日本政府に責任がないのかというと、そうではありません。人身売買罪が刑法に入ったのは2005年で、当時は違法とはいえない」という声が聞かれますが、当時の刑法でも国外移送を目的とする人身売買は禁じられていました。

 刑法第33章 「略取及び誘拐の罪」第226条(国外移送目的略取等)の第1項は、日本国外に移送する目的で人を略取し、または誘拐した者は、2年以上の有期懲役に処するとあり、第2項は日本国外に移送する目的で人を売買し、または略取、誘拐、若しくは売買された者を日本国外に移送した者も、前項と同様とする、とあります。すなわち、「慰安婦」にすることを目的に女性を売買し、日本国外の慰安所に送ることは、当時も重大な犯罪だったのです。

 それだけではありません。第224条 (未成年者略取及び誘拐) は、未成年者を略取し、または誘拐した者は、3カ月以上五年以下の懲役に処する、とあります。さらに、第225条(営利目的等略取及び誘拐) は、営利、わいせつまたは結婚の目的で、人を略取、または誘拐した者は、1年以上10年以下の懲役に処する、とあります。あたり前のことですが、略取(暴行や脅迫等による連行)だけでなく誘拐(欺罔・誘惑による連行)も犯罪であり、実際にだまして移送して「慰安婦」にしたことで有罪になったケースもありました5。 

そもそも、業者は勝手に「慰安婦」を集めて慰安所に連れて行った?

 業者が「慰安婦」にする女性を集めたケースがあることは確かです。しかしその場合、業者は軍とは無関係に勝手に女性を集めて慰安所に連れて行き、日本軍将兵のための慰安所を経営することができたのでしょうか? これを考えるうえで重要なのは、軍と業者の関係です。

 日本軍が慰安所の設置を拡大していった1937年暮れ6、中支那方面軍が慰安所の設置を派遣軍に指示し、上海派遣軍が「慰安婦」集めを業者に依頼したことは、内務省資料や警察資料などからも確認されています。軍の指示により業者が「内地」に女性を集めに来た経緯について、「在上海陸軍特務機関の依頼」で「約3,000名の酌婦を募集して送ることとなった7」 という業者の話を、群馬県知事(警察部長)が内務省などに問い合わせている書面もあります(同様の書面は複数発見されている8)。

 一方、「慰安婦」を戦地の慰安所に連れて行くとき、軍のトラックや船が使われました。米軍資料には、1942年8月20日頃、703名の女性が慰安所楼主に連れられてラングーンに上陸したとあります9。かなり規模の大きな「慰安婦」移送ですが、当時、軍と無関係にこのような移送はできません。そもそも業者も女性も身分証や証明書がなければ乗船できなかったのです。「皇軍将兵慰安婦渡来につき便宜供与方依頼の件10」 には、「慰安婦」を集めに「内地」や朝鮮半島に業者が行っていること、業者の身分証明書を領事館が発給したと記されています。また、問い合わせてきた和歌山県刑事課長への長崎県外事警察課長の回答(「事実調査方件回答」1938年1月20日)には、「皇軍将兵慰安婦女の渡滬」について在上海日本総領事館警察署長から長崎県長崎水上警察署長宛に依頼があったとあり、軍が「慰安婦」移送の「便宜」を供与したことは明らかです。

 軍は慰安所業者(「前線陸軍慰安所営業者」)に「酌婦営業許可願」の提出を求めていました。業者が日本軍のための慰安所を経営するには、軍の許可なくてはできなかったのです。つまり、業者は軍の命令と便宜、サポートの下で「慰安婦」を集め、戦地の慰安所まで移送してもらい、軍の許可の下で慰安所経営を行なったのです。

 以上、日本人であれ朝鮮人であれ、業者は勝手に「慰安婦」を集めることも戦地に移送することも慰安所を経営することもできず、日本軍の指示や許可、手配の下で動いていたのです。したがって、末端で使役された朝鮮人業者にも責任はありますが、より大きな責任は業者を指示使役した日本軍にあったのです。



  1. 「法律を犯したという意味で糾弾すべき『犯罪』の主体は、まず業者たちであるはずだ」(朴裕河『帝国の慰安婦』)という主張があるが、業者は軍の指示・監督下で動いており、業者が責任の第一の「主体」ではない。
  2. ″The Fact”『ワシントンポスト』掲載の意見広告2007年6月14日、『スターレッジャー』掲載の意見広告2012年11月4日。
  3. 『産経新聞』3月29日付。
  4. ラジオ日本に出演したときの発言(2007年3月25日)。
  5. 長崎事件、大審院第四刑事部判決1937年。VAWW RAC編、西野瑠美子・小野沢あかね責任編集『日本人「慰安婦」―愛国心と人身売買と』現代書館、2015年、参照。
  6. 飯沼守上海派遣軍参謀長の日記「慰安施設の件方面軍より書類来り実施を取計ふ」(1937年12月11日)、「迅速に女郎屋を設ける件に就き長中佐に依頼す」(1937年12月19日)。
  7. 「上海派遣軍内陸軍慰安所ニ於ケル酌婦募集ニ関スル件」群馬県知事、1938年1月19日。
  8. 「時局利用婦女誘拐被疑事件ニ関スル件」和歌山県知事昭和12年(ママ)2月7日、ほか。
  9. 「日本人捕虜尋問報告 第49号」1944年10月1日。
  10. この上海総領事館警察署の依頼状は、在上海領事館と陸軍武官室と憲兵隊の3者が慰安所設置についての役割分担も記されている。
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