2015年8月14日、安倍晋三首相は「終戦70年」に際して内閣総理大臣談話を発表しました(以下「安倍談話」1)。安倍談話は、ちょうど本書が中心的に扱ってきた日本の植民地支配の責任および朝鮮人「慰安婦」の問題を、はっきりと構造的に欠落させたものでした。そこで本書のまとめに代えて、以下、まず1990年代以来の歴史修正主義の流れのなかに安倍談話を位置づけたうえで、その問題点を整理してみましょう。
日本の歴史修正主義の流れ
安倍談話は、日本の侵略戦争と植民地主義の歴史をめぐって1990年代以来続いてきた論争と政治的葛藤の延長線上にあります2。
1991年に金学順さんが日本軍「慰安婦」として初めて名乗りをあげたことを皮切りに日本の歴史的責任追及の動きが世界的に活発化するなか、日本政府は加藤紘一官房長官談話(1993年)、河野洋平官房長官談話(1993年)と日本軍・日本政府の責任を認める方向の見解を表明しました。日本政府は、法的責任を周到に回避しながらも、アジア女性基金を設置(1995年)しました(12-4参照)。また、1993年8月、当時の細川護煕首相は国会の所信表明演説で「侵略行為」「植民地支配」という表現を首相として初めて用いながら「反省とお詫び」を述べました。そうした流れのなかで、1995年8月の村山富市首相は公式談話「戦後50周年の終戦記念日にあたって」4。当時、初当選から間もない時期だった安倍晋三議員もその委員でした。1994年には、村山内閣の「戦後50年」決議を阻止し「自虐的な歴史認識」を見直すために戦後50周年国会議員連盟(奥野誠亮会長、後に「明るい日本・国会議員連盟」)が組織され、安倍議員は事務局長代理を務めました。
1990年代後半になると、「新しい歴史教科書をつくる会」の結成(1996年)など、歴史修正主義の動きが活発化しますが、その主たる攻撃対象は河野談話および村山談話であり、また「慰安婦」問題に関する記述を盛り込んだ歴史教科書でした。1997年には、日本会議国会議員懇談会や、安倍議員が事務局長を務めた「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」(中川昭一会長6。
こうした日本の歴史的責任をめぐる政治的葛藤の中心に、日本軍「慰安婦」問題がありました。それは「慰安婦」問題が、日本の戦争責任のみならず、植民地支配の問題とジェンダー差別の問題を同時に照らし出すものだったからです。それはまた、韓国の民主化などを契機に、国と国の間の政治的決着ではおさまり切らない被害者個人の声が歴史の表舞台に登場した点でも重要な契機となりました(12-1参照)。
日本の植民地支配責任の構造的否定
安倍談話は、こうした日本の植民地支配と侵略戦争の歴史的責任を追及しようという1990年代以来のグローバルな動きを封じ込めようという力の産物だと言うことができます。なかでも、本書で注目している日本の植民地支配責任と朝鮮人「慰安婦」の問題は、安倍談話が明確に構造的に否定したものでした。
確かに安倍談話は植民地支配に言及しています。しかし、それはまず「西洋諸国」の植民地化のことであって、日本による植民地支配の問題は一言たりとも触れられていません。この日本の植民地支配責任の構造的否定は徹底しています7。
まず、「西洋諸国」の植民地圧力に対する「危機感」が日本の「近代化の原動力」となったとする一方、帝国憲法が制定され帝国議会が設置されて間もない時期に日本が日清戦争を引き起こし、朝鮮で数多くの民衆を虐殺するとともに、台湾を植民地化するに至った歴史は消去されています8。
日露戦争について、安倍談話は、「植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました」と評価しています。しかし日露戦争は、日本による朝鮮(大韓帝国)の主権侵奪の始まりでした(6-2参照)。その後、朝鮮では義兵戦争がはじまり、それに対して日本の軍警は徹底討伐を進め(6-4参照)、その先に「韓国併合」(1910年)がありました。むしろ日露戦争こそが日本の朝鮮植民地支配の起点となったのであって、それは決して朝鮮の「人々を勇気づけ」たなどと言えるようなものではありませんでした。
さらに安倍談話は、第一次世界大戦を契機に、「民族自決の動きが広がり、それまでの植民地化にブレーキがかか」ったと述べています。大きな世界史的流れはそうですが、「日本も足並みを揃え」たと評価するのは問題です。日本はドイツ領だった南洋群島を戦時に占領して支配領域を拡張しました。また、米国のウィルソン大統領が1918年に出した「14か条の平和原則」のなかには「民族自決」が含まれ、これが一つの導火線となって1919年に朝鮮各地で三・一独立運動が起きました。ところが日本はこの「民族自決」の動きを武力で徹底弾圧しました。その後、朝鮮の統治様式は変更したものの、むしろ警察力は増強し、独立運動を徹底して取り締まるようになりました(6-4参照)。
アジア太平洋戦争の人的被害についても植民地問題の構造的無視は明確です。安倍談話は「300万余の同胞の命」と「戦火を交えた国々」の人々について語りながらも、植民地の人々のことは言及すらしていません。
ですから、戦後日本が植民地支配に対し「永遠に訣別」を誓ったと言われても、それは敗戦にともなって植民地が日本の領土から切り離されたという事実以上のものを意味し得ません。お詫びらしき表現が用いられるのも、「先の大戦における行い」に対してであって、植民地支配に対してはそれらしき表現すらないのも談話の特徴です。また、戦後日本がサンフランシスコ講和条約を通じて無賠償を原則として国際社会に復帰できたのは、決して談話の言うように戦勝国や被害国の人々の「寛容の心」のおかげではなく、冷戦下の日本の地政学的位置がそうさせたにすぎません9(8-2参照)。そしてこの枠組が日韓条約の「請求権」問題を規定したのであり、結果的に植民地支配への謝罪も賠償も一切ない政府間の「解決」となりました(8-3参照)。それこそが現在にも続く未解決の歴史的責任問題の源泉となったのです(12-2参照)。
これに付言すれば、安倍談話は、日本が「隣人であるアジアの人々」に対して、「戦後一貫して、その平和と繁栄のために力を尽くしてきました」と述べています。この言葉を、日本の国内の「隣人」である在日朝鮮人に対しても言うことができるでしょうか。また、まさに「隣のアジア」である朝鮮戦争(1950~1953年)に際して、警察予備隊の設置をはじめとした再軍備を進め、「朝鮮特需」に沸き、憲法の枠組を踏み越えて掃海艇や海上輸送船を秘密裏に派兵した日本10は、朝鮮半島の「平和と繁栄」のために尽くしたのでしょうか。このような表現は、戦後の在日朝鮮人や朝鮮半島の歴史に真摯に向き合ったとすれば、決して出てきようのないものです。
「女性の人権」一般に埋もれた「慰安婦」問題
このように、安倍談話は日本の植民地支配責任をはっきりと否認する立場から書かれています。この植民地問題の隠蔽は、日本軍「慰安婦」問題に言及がなかったこととも関係しています。
安倍談話のなかで多少なりとも日本軍「慰安婦」問題に関係のありそうな箇所をあげるならば、それは「戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた」ことを想起している部分ぐらいで、あとは「21世紀こそ、女性の人権が傷つけられることのない世紀とする」と「未来志向」の文言があるのみです。歴史的な部分については、戦時下の「女性たちの尊厳や名誉」の問題一般が受動態で語られているため、誰が誰をどのように傷つけたのかがまったく不明瞭となっています。このような問題設定では、民族(人種)間の関係を核とする植民地問題が入り込む余地がありません。1990年代以来の日本軍「慰安婦」問題をめぐる議論の過程で、ジェンダー間関係と民族間関係とをばらばらにではなく複合的なものとして見る視点の重要性が幾度となく提起されてきました。ところが、この談話では民族の格差を超越して「女性の人権」だけが切り取られ、結果的に日本軍「慰安婦」問題の核心が隠蔽されているのです。
日本軍「慰安婦」制度の歴史的な淵源には、日本軍基地や日本人居留地の周りに持ち込まれ、日本「内地」とは異なる体系のなかで運用された植民地公娼制がありました(5-1参照)。また、日本軍「慰安婦」制度において、植民地から未成年者を含む大量の女性を集めることになったのは、「内地」の日本人とは異なる差別的な体系が適用されていたからでした(5-5・5-7参照)。その背景には、日本が国内法や国際法などにおいて植民地に異なる差別的な扱いが可能なシステムを作り上げていたからです(6-1・6-3参照)。「女性の人権」一般論だけではこのような問題が不可視となってしまうことは、20世紀の批判的フェミニズム論のなかで繰り返し語られてきたことであり11、それこそが現代の私たちが受け止めるべき歴史的教訓ではないでしょうか。
安倍談話は後代まで謝罪を続けさせてはならないと言います。しかし謝罪とは、事実関係に関する5W1H(いつ、どこで、誰が、何(誰)に対して、なぜ、どのように行なったのか)を含む徹底した真相究明、責任追及、賠償などの措置がともなってはじめて意味を持ち得ます。個人間の関係に置き換えて考えてみれば、中身のない空疎な「ごめんなさい」の言葉ほど相手を苛立たせることはないということをすぐに理解できると思います。謝罪しても被害当事者から許されるわけではないのは当然のことですが、それ以前に、そもそも日本政府は植民地支配や日本軍「慰安婦」問題についてそのような謝罪を行なったことがないのです。
未来に向けて強い風で飛ばされながらも、後ろを向き目を見開いて、遠ざかる過去の残骸を見つめる天使―これがナチス・ドイツ下で命を失う直前に思想家ベンヤミンが思い描いた「歴史の天使」です12。「発展」や「グローバル化」という強風に飛ばされ、ただ前を向いて「未来志向」で進むのではなく、歴史の天使とともに20世紀の暴力と向き合うこと。これが21世紀を生きる私たちが身につけるべき所作ではないでしょうか。
- 歴代総理大臣の談話・指示は首相官邸のページ(www.kantei.go.jp/jp/97_abe/discource/archive/)を参照。
- 1990年代からの関連した動きについては、藤永壯氏の「「慰安婦」問題と歴史修正主義についての略年表」(http://www.dce.osaka-sandai.ac.jp/~funtak/databox/nenpyo.htm)、俵義文氏のホームページ(http://www.ne.jp/asahi/tawara/goma/)、板垣竜太の「歴史教科書問題日誌」(http://www.jca.apc.org/~itagaki/history/chron.htm)を参照。
- 「河野談話」「村山談話」の意義と問題点については、9-1参照[/efn_note}(「村山談話」)を出し、そこで日本が「植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました」と表明することになりました。
一方、こうした流れに反発する動きも政界や言論界などで急速に拡大しました。1993年、細川演説に反発して自民党内に歴史・検討委員会(山中貞則会長)が組織され、歴史修正主義的な論客を巻き込みながら、1995年には、「大東亜戦争」を「正しい戦争」とする観点からの本も出しました3歴史・検討委員会『大東亜戦争の総括』展転社、1995年
- )など、国会議員の組織化も活発になりました。のちに成立した第1次・第2次安倍内閣には、この歴史修正主義諸団体の人脈が色濃く流れ込んでいます5前掲・俵氏のページに閣僚の詳細な分析がある。なお、まさにこうした政治的構図のなかで、2001年1月に放映されたNHKのドキュメンタリー「問われる戦時性暴力」の番組改変事件が起きた。同番組は2000年に開催された女性国際戦犯法廷を中心とする内容だったが、安倍議員ら「若手議員の会」や日本会議のメンバーらが番組に口出しをするなか、NHK幹部の指示により、日本軍「慰安婦」問題における日本の責任に関する場面やナレーションが薄められた。詳細は『番組はなぜ改ざんされたか』(一葉社、2006年)などを参照
- もっとも、1995年の村山談話も植民地支配責任の追及という点において十分な内実を有していたわけではない。この点については、板垣竜太「脱冷戦と植民地支配責任の追及」(金富子・中野敏男編『歴史と責任』青弓社、2008年)参照
- 日清戦争における朝鮮民衆の虐殺については、井上勝生『明治日本の植民地支配』(岩波書店、2013年)を参照
- 実際、安倍首相は、2015年4月に米連邦議会上下両院合同会議において、戦後日本について「アメリカのリーダーシップ」の下で「冷戦に勝利」した歴史として総括している。
- 日本の朝鮮戦争への「参戦」については、大沼久夫編『朝鮮戦争と日本』(新幹社、2006年)、城内康伸『昭和25年最後の戦死者』(小学館、2013年)、防衛省防衛研究所『朝鮮戦争と日本』(http://www.nids.go.jp/publication/mh_tokushu/、2013年)を参照。
- こうした議論については、岡真理『彼女の「正しい」名前とは何か』(青土社、2000年)、米山リサ『暴力・戦争・リドレス』(岩波書店、2003年)を参照。
- ヴァルター・ベンヤミン「歴史の概念について」(『ボードレール 他五篇』岩波文庫、1994年)