12-3 韓国の「慰安婦」問題解決運動は「反日」なの?

韓国の日本軍「慰安婦」問題解決運動は、「慰安婦」被害者たちを支援し、その要求を実現するため、日本軍と日本政府の責任を問い、戦時性暴力を根絶することを目的としています。「自分たちのような被害者を二度と生まないで」という「慰安婦」被害女性たちの願いを実現するためには、戦時性暴力が処罰され、責任をとるべき国家が謝罪と賠償を行なうシステムと前例をつくっていかなければなりません。そこで、韓国の運動は、韓国政府の戦時性暴力についても、真相を究明し責任を追及する取り組みをしています。

 それは、日本や世界の市民と連帯して進められています。「慰安婦」問題解決運動は、韓国による「反日本」の政治手段ではなく、それ自体が国境を越えた「反性暴力」「反植民地主義」の運動だと言えます。

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被害女性を支えてきた挺対協

 韓国には、さまざまな運動団体があります。たとえば、「慰安婦」被害者たちが共同で暮らす「ナヌムの家1」 も独自の運動を展開しています。そのほかにも釜山プサン大邱テグ統営トンヨン馬山マサン昌原チャンウォンなどに、被害者を地元でケアしながら資料館の建設などを推進している団体があります。これらの団体は、互いに連携しながら、一方で各自の運動を主体的に行なっています。

 このような多様性を前提としつつ、ここでは韓国挺身隊問題対策協議会(以下、挺対協)の運動に絞って見ていくことにします。挺対協は、「慰安婦」問題の解決を掲げて韓国で最初に結成された団体で、韓国内でも、国際的にも、近年ますます注目され、韓国の運動はすべて挺対協が行なっていると見られがち2な一方、何かと言うと「反日」のレッテルを貼られる存在にもなっているからです3

 挺対協は1990年11月16日、韓国の37の女性団体の連合体として結成されました。背景には、民主化運動の経験とフェミニズムの影響を受けて1980年代に飛躍的に発展した韓国の女性運動がありました。

 挺対協という受け皿ができて初めて、被害者たちが名乗り出はじめました412-1参照)。以降、被害者支援が挺対協活動の中心に位置づけられるようになります。挺対協は、定期的に全国の被害者宅を訪問して生活や健康状態を直接把握し、被害女性たちの共同住宅「平和のウリチプ(私たちの家)」も運営しています。また、韓国政府に対し、戦後半世紀もの間「慰安婦」被害女性を放置した責任を問い、支援政策をとるよう運動した結果、毎月支給される生活支援金や無料医療の提供など数々の社会保障政策を勝ち取りました5。 

平和運動家になったハルモニたち

 名乗り出た被害女性たちのなかには、日本大使館前の水曜デモに参加し、日本や諸外国に出かけて行って証言をし、解決を訴える活動を自ら行なう人も出てきました。このような活動は、被害者自身に大きな変化をもたらしました。挺対協は被害者たちを、尊敬と親しみを込めて「ハルモニ(おばあさん)」と呼びます。

 そのようなハルモニのなかに、「ナビ(蝶)基金」設立のきっかけをつくった金福童キム・ボクトンハルモニと吉元玉キル・ウォノクハルモニがいます6。2人は、挺対協とともに日本や米国、欧州各国を回って「慰安婦」問題の解決を訴える過程で、また、水曜デモに訪れる世界各国の人々や韓国の米軍基地村で性を収奪されてきた女性たちと出会うなかで、いまも軍隊の性暴力に遭っている女性たちがいることを知りました。

 「日本政府から賠償金が出たら、今も戦時下で性暴力の被害に遭っている女性たちに全部あげたい」

 2人のこの発言を聞いた挺対協は、2012年3月8日、紛争下で性暴力被害に遭った各国の女性たちを支援する「ナビ(蝶)基金」を立ち上げました。

 ナビ基金は早速、2013年4月からコンゴの紛争下で性暴力に遭った被害者たちへの支援を開始し、1年後の2013年3月からは、ベトナム戦争時に韓国兵の性暴力を受けた女性とその子どもたちへの支援を開始しました。同時に、韓国政府が過ちを認め、責任ある措置を取るよう求める声も上げ続けています7

 挺対協のナビ基金がベトナムの被害女性たちの支援を開始する際、すぐに被害者を特定できたのは、初代共同代表のさんが2002年に挺対協の代表を退任した後、すぐに「韓国ベトナム市民連帯」を立ち上げて、韓国軍の性暴力被害に遭った女性たちの調査をベトナムで開始し、被害女性たちへの支援を続けてきたからでした。ナビ基金は、この活動を引き継ぐ形でベトナムへの支援もはじめたのです。このようなナビ基金の活動はベトナムで徐々に知られるようになり、新たに被害者が名乗り出る効果も出ています8。 

吉元玉さん

戦時性暴力を根絶する挺対協の運動

 挺対協は4半世紀におよぶ活動の過程で、日本軍「慰安婦」問題を現在も続く戦時下の女性への性暴力問題として明確に位置づけるようになりました。したがって、女性の性を収奪する国家の責任は、日本に対してだけ追及するのではなく、韓国政府をはじめすべての国家に向けられています。挺対協は、「基地村女性人権連帯9」にも2012年の結成時から参加し、2014年に提訴した米軍基地村慰安婦訴訟の支援にも加わっています10。 

 挺対協の代表は、このような挺対協の運動のキーワードを「連帯」と「過程」と表現しています11。一カ所に止まることなく、連帯をとおして学び、広げ、自分たちの問題を知らせるだけでなく、他者の問題を自分たちのなかに引き寄せ、連帯する。そのような「過程」に、常にあるのだと。

 運動は「人」がつくるものです。人は経験し、学び、変化します。ですから、人がつくる運動も、自ずと変化します。とりわけ被害者とともに歩んできた「慰安婦」問題解決運動は、被害者と支援者が相互に作用し合いながら互いに変化し、運動も変化する、という過程を歩んできました。そして、いまも変化の過程にあるのです。

 その過程で一貫して変わらないのは、被害者を支援し、被害者の望む解決を獲得する運動を中心に据えてきたことです。そのような取り組みのなかで、韓国政府に対し、日本政府が被害者に謝罪と賠償をするよう働きかけることを要求してきました。しかしそれは、これまで見てきたように、理由もなく日本に反対するための政治運動ではなく、被害者の要求を実現するため、ひいては戦時性暴力を根絶するための女性人権運動であり、平和運動なのです。                               

  1. 1992年、韓国の仏教団体などが呼びかけて建設。日本軍「慰安婦」被害女性たちの共同生活の場。98年、敷地内に歴史館開館。ハルモニたちの絵画なども展示し、訪れる人に歴史と記憶を伝える場所となっている。
  2. たとえば朴裕河著『帝国の慰安婦』の出版差し止め及び民事・刑事訴訟を起こした(63頁参照)のはナヌムの家に居住する被害者九人だが、朴氏が「支援団体に訴えられた」と表現するため、挺対協が訴訟を起こしたと勘違いしている人が多い。「挺対協が背後で操縦している」という事実無根の言説まで出回り、これについて記者の質問に、挺対協の尹美香代表は「独自の運動を展開しているナヌムの家が聞いたら非常に気分が悪いのでは」と答えた(2015年4月23日参議院議員会館内のシンポジウムで)。
  3. ここでは、少しでも日本に対して気にくわないことを言うと、すぐに「反日」とレッテル貼りして議論を無視したり、人の存在を貶めたり、政治的に攻撃したりすることを問題視している。「反日」とされるものの中身は、多くの場合、日本の帝国主義、植民地主義、軍国主義、ファシズム、歴史的責任の否定などへの批判であり、その主張の内容やその歴史的背景がしっかり理解される必要がある。
  4. 1991年8月14日の金学順さんの公開記者会見を機に91年末から92年にかけて多くの被害者が申告。その後、申告数は増え続け、238人。生存者は53人(2015年5月現在)
  5. 1993年「日本軍『慰安婦』被害者生活安定支援法」制定。月々の生活支援金の支給開始。同法は2004年に「日本軍『慰安婦』被害者の生活安定支援及び記念事業支援に関する法」に改正され施行。同法にもとづき韓国政府は被害者個人に1カ月当たり98万2000ウォン(約10万円、2013年基準)を支援。ほかにも国民基礎生活保障法にもとづく生活費支給、医療費支給、賃貸住宅の優先入居、看病人費用の支援などを行なっており、各地方自治体がこれとは別の支援策をとっている。
  6. ほかにも、日本軍「慰安婦」被害者のハルモニ、ハルモニは韓国政府からの生活補助金などを、戦争被害者のためにとベトナム真実委員会に寄付。韓国が加害者として真の謝罪をするための「平和博物館」運動につながった(179頁参照)
  7. 2014年3月、挺対協は韓国政府に送った要請文で、真相調査と真相究明、韓国軍による民間人虐殺が戦争犯罪であったことの認定、韓国軍による民間人虐殺被害者と遺族に対する謝罪と名誉回復のための努力、ベトナム政府と国民に対する公式謝罪と法的責任の履行を求めている。挺対協が運営する「戦争と女性の人権博物館」(ソウル)でも、ベトナム戦争時の韓国軍の犯罪に関する特別展示を行なう(2015年5月~)。
  8. 2015年3月、ビンディン省人民委員会から26人の被害者が確認されたとの連絡を受け、挺対協は現地で女性たちに会って調査。新たな支援対象者が確定した。
  9. 2012年8月、米軍基地周辺で性を収奪されてきた女性たちを支援するトゥレバンなど七団体が、四年の準備期間を経て結成。集団訴訟を起こすことを会の活動の一つとして掲げた。 12-5参照。
  10. 尹美香代表は「私たちが願う世界は、私たち自身が平和でなければならないので、韓国社会の不正義な制度と文化を変える活動へとつながり、その過程で米軍基地村女性の人権問題や性売買被害女性たちの問題との連帯へとつながった。このような活動の背景には、日本軍「慰安婦」問題と米軍基地村女性の人権問題、現在も続く戦時性暴力問題などをつくり出すシステムが、結局は同じ根である家父長制から生じているという認識がある」と述べている。(2015年4月23日『ナビ(蝶)基金を知っていますか?』集会での発言)
  11. 同上
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