「金福童の道」を歩く①「国立望郷の丘」を訪ねて

2025年6月6日、日本軍性奴隷制被害者でありながらも「人権平和活動家」として生きた金福童(キム・ボクトン)さん(19262019)の精神を継承するために設立された非営利民間団体「金福童の希望」が主催する「金福童の道」を歩くフィールドワークに参加しました。
第1回目は、天安(チョナン)にある「国立望郷の丘」について報告します。

なぜ6月6日に合わせて実施されたのでしょうか。
それには意味があります。

6月6日は、顕忠日(ヒョンチュンイル)と言って、「国を護るために」命を失った人々の「護国精神」を称え追悼する日とされています。 ですので1日中、朝鮮戦争や戦争関連の映画や番組が放映され、人々は個々の暮らしに戻っていきます。この状況に対し金福童さんは、2013年の顕忠日の前日、「戦争は記念するものではない。戦争は止めなければならないものだ」と終戦宣言し、戦争のために勉強できない子どもたちのための奨学金を寄付したのです。それが「金福童の希望」の始まりです。
「金福童の希望」は昨年からこの日を含む金福童平和週間を設け、平和を継承する活動を続けています。
(前日開催の活動家ワークショップで共同代表の尹美香さんの発言より)

ソウル市内からバスに乗って1時間半あまり、忠清南道天安市にある「国立望郷の丘」に着きました。ここは、韓国にルーツを持ち海外で亡くなられた方々が眠っています。そして日本帝国の植民地支配により、祖国を離れ、海外でそのまま亡くなった人たちの遺骨も安置されています。日本では「徴用工問題」、韓国では「強制徴用問題」の被害者をはじめ、日本軍「慰安婦」被害者たちの遺骨も埋葬されています。

        

現在、こにに埋葬されている「慰安婦」被害者は現在58人だそうです。納骨堂に24人、墓地に34人が眠っています。
尹美香(ユン・ミヒャン)さんの案内で「慰安婦」被害者一人一人のお墓を訪ね、その方についてお話を聞いた後、献花・黙祷をしました。
何人か紹介しましょう。


金福童ハルモニのお墓。
名前の右肩には「人権運動家」と刻まれています。

墓石の裏には、その人の略歴だったり、お墓を建てた遺族の名前が刻まれたりしています。
これは金福童ハルモニの墓石の裏側です。

1926年313日に慶尚道梁山(ヤンサン)で生まれた。
1940年、日本軍性奴隷として連れて行かれる。
27年間、平和人権運動家として活動した、などと書かれています。

参考サイト:金福童ハルモニの略歴~証言から(まとめ:関西ネット)


河尚淑(ハ・サンスク)ハルモニのお墓。
河尚淑ハルモニは中国に連れて行かれ、「慰安婦」にされました。
ようやく韓国に戻りましたが、中国に残してきた娘に会いたいと再び中御に行きました。
最後は韓国で亡くなりました。

このように「慰安婦」被害者の中には中国に置き去りにされた方々がいます。
長い間、中国にいたために、韓国語がわからなくなってしまったハルモニもいました。
韓国の国籍もなかったので、亡くなった後になってようやく韓国の名前がついた方もいたそうです。


1991年、日本軍の慰安婦だったと名乗り出た金学順(キム・ハクスン)ハルモニのお墓に献花する10代の参加者。

金学順ハルモニの墓石裏には略歴が刻まれています。
1924年730日、平壌(現在の北朝鮮)で生まれる。…

【名乗り出の経緯】韓国


日本に暮らす在日朝鮮人として唯一、日本政府を相手に謝罪と賠償を請求する訴訟をした宋神道(ソンシンド)ハルモニのお墓。

裁判支援をはじめ宋神道ハルモニを支えてきた「在日の慰安婦裁判を支える会」の梁澄子(ヤン・チンジャ)さんは、ここにお墓を建ててから、この場所に立ってみると「ここからハルモニの故郷が見えます。ハルモニが本当に故郷に帰ってきたんだなあと感じることができました」と語っていました。

【被害者証言】宋神道(韓国/在日)

キボタネ 宋神道さんについて


宋神道ハルモニの墓石の裏側。


2018年に建立された日本軍「慰安婦」被害者の追悼碑の前に集まったフィールドワーク参加者たち。

公募で選ばれた追悼碑の作品名は「安息の家」。4つの追悼碑が連なっています。被害者のハルモニの生涯を、少女から老女になり、蝶になって飛んでいく姿を表現しています。

岡本有佳記

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