【被害者証言】イネス・デ・ジェスス(東ティモール)

  • 1930年頃、ポルトガル領ティモールのラサウンで生まれる
  • 被害にあった期間:日本軍の駐留期間(1943-45年)
  • 被害にあった場所:エルメラ県オアトの慰安所

●証言概要:

■ただただ日本兵が怖く、拒むこともできませんでした
戦争が始まる前、私は両親と田んぼや畑を耕していました。うちの田んぼはこの山肌をずっと下ったところにあります。畑にはトウモロコシやキャッサバを植えていました。それからタイスを織っていました。タイスの織り方は母から習いました。今は目が悪くなって織っていませんが、私の技は娘たちが引き継いでいます。

日本軍がやって来ると、軍用物資の運搬、道路の建設、木の伐採、草刈りなどのためにかり出されるようになりました。(駐屯地のあった)ボボナロに連れていかれた時は兵舎も建てました。
私たちは昼も夜も働かされました。女たちはある家にいれられました。近所に住んでいるマダレーナさんもいっしょでした。その家—「慰安所」には狭い部屋がたくさんありました。当時私はまだ子どもで胸もふくらんでませんでしたが、日本兵は一晩に4人から8人が代わる代わるやって来ました。私はひとりでこの全員を相手にしなければならないのです。それが終わると私は立つことはおろか、動くこともできず、死んだように眠るだけでした。中には逃げ出した人もいましたが、私はできませんでした。なぜなら私を日本軍に引き渡したのは村の長だったので、私の名前や家は知られていたからです。性器が痛くて歩くことさえできない時も拒むことはできませんでした。ただただ日本兵が怖かったのです。
「慰安所」には十分な食べ物がありませんでした。私たちは一人ずつ家に帰され、家から食べ物を運び、それを皆で食べました。両親には病気のことも話せませんでした。恥ずかしかったし、両親が殴られたり捕まったりすることをおそれたからです。

■生まれた子どもも奪われ・・・
やがて私は妊娠し、慰安所で子どもを出産しました。その子は女の子でカイブティと名付けました。その子が3カ月になった頃、日本軍が撤退しました。私はその子を連れて家に帰ろうとしたのですが、道の途中で日本兵に奪われてしまいました。その子がどうなったか、知るよしもありません。

私たちにはどんな報酬も払われませんでした。兵士たちは傍若無人に私たちに乗り降りし、ひどく野蛮でした。動物でさえ私たちよりましな扱いを受けていたと思います。私たちはセックスを強要されるほか、時には伝統的な踊り (tebe-tebe) や歌など娯楽を供することも求められました。私たちは自分たちの精神がおかしくなっていくような感じがしました。

■私の体験のすべてを知ってほしい
私の経験を知るのは両親だけです。死んだ夫にも話しませんでした。最近になって(※「女性国際戦犯法廷」の際に現地女性団体の)ナタリアさんが来たので、初めてお話ししました。公聴会(※2007年1月に現地で開催)はよかった。言葉の問題があるので同郷のカルメリータさんとばかりおしゃべりしていましたが、公聴会で証言できてうれしかった。
私はもう老いたのですべてを知ってほしいと思います。私は自分の体験を語ることを恥だとは思いません。日本政府にはきちんと謝罪してほしいし、私たちの生活にも目を向けてほしいです。

■東ティモール社会連帯省による生業支援事業
東ティモールには大戦中に占領した日本軍による性暴力の被害者(元「慰安婦」)がたくさんいます。しかし、日本政府は「東ティモール政府とは、外交関係樹立の際、未来志向でやっていくと合意ずみ」「東ティモール政府からの要請がない」として、被害の救済(医療や生活の支援を含め)を行っていません。
そこで、東ティモール全国協議会(日本)の支援で被害者への訪問を続けているAsosiasaun HAK(東ティモール人権協会)は、ICTJ(移行期正義のための国際センター)とともに、東ティモール社会連帯省に陳情し、同省によるインドネシア軍占領期(1975-1999年)の人権侵害被害者向け生業支援事業を日本軍による性暴力被害者にも適用するパイロットプロジェクトを開始しました。この枠組で、イネスさんの家族がイネスさんの織物技術(写真)を受け継ぎ、製品化する事業が始まりました。

社会連帯省の支援による織物工房

社会連帯省の支援による織物工房、2012年、写真提供:Asosiasaun HAK

同じくオアト村の慰安所にいれられたマダレーナさん

同じくオアト村の慰安所にいれられたマダレーナさん:「日本兵はおとなしくしないと首を吊って殺すと脅した」。2012年。写真提供:Asosiasaun HAK

目撃証言者カルメリータさん

目撃証言者カルメリータさん
「日本軍の命令を受けてイネスさんとマダレーナさんを連行したのは当時アッツアベのリウライを継いだ彼女の夫、ドミンゴス・ソアレスだった。ドミンゴスは日本軍の兵補として鳳機関のために働き、戦後ポルトガル政府によってアタウロ島の監獄に送られた」2005年 写真提供:Asosiasaun HAK

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