2-1 強制連行が問題の本質なの?

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論点のすり替え

日本軍「慰安婦」を正当化しようとする人々は、女性を連行する時に暴力あるいは強制が使われたかどうかだけを取り上げ、それを文書で証明できないから、そういう「事実」はなかった、日本軍「慰安婦」制度は悪くないのだ、という言い方をします。

こうした議論の仕方は、はたして妥当なのでしょうか。少し考えていただければすぐにわかるように、これは論点のすり替えであり、重大な問題から人々の関心を逸らそうとするものです。

かつて日本軍「慰安婦」問題が取り上げられるようになった時に、一部には、問題を世論に訴えるために強制連行だという点を強く言う傾向がありました。しかし、日本軍や日本政府の資料が次々に明らかになり、また、元日本軍「慰安婦」の方々の証言がなされるようになってくると、連行時に暴力が使われたかどうかだけが必ずしも重要なポイントではないことは、この問題に取り組んでいる研究者や市民にとって早い段階ではっきりしていました。

吉見義明『従軍慰安婦』

吉見義明『従軍慰安婦(岩波新書、1995年4月)

たとえば、この問題の研究の第一人者である吉見義明さんは1995年に出版した『従軍慰安婦』(図)において、「従軍慰安婦」とは、「日本軍の管理下におかれ、無権利状態のまま一定の期間拘束され、将兵に性的奉仕をさせられた女性たちのことであり、『軍用性奴隷』とでもいうしかない境遇に追いこまれた人たちである」と定義しています。

同書の結論部分において、「従軍慰安婦問題の本質とは何か」として、

第一に「軍隊が女性を継続的に拘束し、軍人がそうと意識しないで輪するという、女性に対する暴力の組織化であり、女性に対する重大な人権侵害であった」こと、
第二に「人種差別・民族差別であった」こと、
第三に「経済的階層差別であった」こと、
第四に「国際法違反行為であり、戦争犯罪であった」

とまとめています。

ここでも、連れて行く際に強制したことではなく、女性たちが―連れて行かれた際の方法はさまざまであれ―軍慰安所に連行されてから、そこで監禁拘束され、性奴隷状態にさせられていたことこそが最大の問題であることを明確に指摘しています。

なお、念のために言っておきますと、連行の方法についても必ずしも暴力的な連行だけが問題ではなく、詐欺・甘言、人身売買など連行方法のほとんどが当時においても犯罪であったことが明らかにされています。

問題の本質は、日本軍が「慰安婦」をつくったこと

こうした認識は世界的に共通のものと言えます。たとえば、元外交官だった東郷和彦さんは、2007年の歴史問題シンポジウムでのある米国人の意見を紹介しながら次のように述べています。

「日本人の中で、〈強制連行〉があったか、なかったかについて繰り広げられている議論は、この問題の本質にとって、まったく無意味である。世界の大勢は誰も関心を持っていない。性、ジェンダー、女性の権利の問題について、アメリカ人はかってとは全く違った考えになっている。慰安婦の話を聞いた時彼等が考えるのは、自分の娘が慰安婦にされていたらどう考えるか、と言う一点のみである。そしてゾっとする。これが問題の本質である。ましてや、慰安婦が〈甘言をもって〉つまり騙されて来たと言う事例があっただけで、完全にアウトである。〈強制連行〉と、〈甘言で騙されて、気がついた時には逃げられない〉のと、何処が違うのか? もしもそういう制度を、〈昔は仕方がなかった〉と言って肯定しようものなら、女性の権利の“否定者”(denier)となり、同盟国の担い手として受け入れることなど問題外の国と言うことになる。」(『世界』2012年12月)

また、ブッシュ政権の時に国家安全保障会議上級アジア部長を務めたマイケル・グリーンさんは、「永田町の政治家達は、次の事を忘れている。〈慰安婦〉とされた女性達が、強制されたかどうかは関係ない。日本以外では誰もその点に関心がない。問題は、慰安婦たちが悲惨な目に遭ったと言うことだ」(『朝日新聞』2007年3月10日)と語っています。

誘拐事件が起きた時、暴力的に連れ去ったか、騙して連れ去ったか、そんなことは問題になりません。連れ去った先で監禁拘束すれば、最初の連れ去り方は誰も問題にしません。どちらの連れ去り方でも刑法上の犯罪としての重さは同じです。騙して連れて行っただけだから、悪くないのだ、などと言う者がいれば、みんなから何を愚かなことを言うのだと非難されるだけでしょう。

女性を軍慰安所に監禁し、「性的奉仕」を強制したこと、国家機関が、そうした制度を作り、女性を集め、運営し、それを公認したこと、そうしたことこそが大問題なのです。

(2014年10月24日更新)

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