2-6 朝鮮戦争とベトナム戦争でもあったのか?

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朝鮮戦争でもベトナム戦争でも

朝鮮戦争の時に韓国軍は日本軍と同じような慰安所を設け、また、韓国政府が米軍のために慰安所を提供したことがありました。これは韓国において、韓国軍の資料などによる研究で明らかになっています。

大韓民国陸軍本部が1956年に発刊した『後方戦史(人事篇)』によると、1951年夏ごろから54年3月に廃止されるまで「特殊慰安隊」が設置されていたことがわかります。ソウル地区に三つ、江陵地区に一つの「小隊」が設けられ、1952年には四つの小隊に八九人の「慰安婦」がおり、一年間に二〇万人あまりの将兵を相手にしたという数字があります。「慰安婦」はほかにもいた可能性がありますが詳細はまだよくわかっていません。これ自身、たいへん大きな問題で人権蹂躙行為です。

ただ、なぜ1950年代において韓国軍がこうした「慰安婦」制度をつくったのかを考えると、当時の韓国軍の幹部には旧日本軍や、日本軍の指揮下にあった旧「満州国」軍の軍人たちが多数いました。いわゆる対日協力者たちが韓国軍を握っていたのです。

この「特殊慰安隊」を設置した時、これを管轄していたのは、陸軍本部の恤兵監室でしたが、その長である恤兵監だった張錫倫は、日本の陸軍士官学校を卒業し「満州国」軍の軍人であった人物です。張の跡を継いで恤兵監になった人物も元日本軍人でした。

慰安所設置とは直接の関係はないようですが、親日派の代表的な人物に、のちに軍事クーデターを起こして政権を奪い、長期軍事独裁政権を指導した朴正熙元大統領がいます。彼は「満州国」の軍官学校を出て、さらに日本の陸軍士官学校も卒業しています。そして戦時中は、「満州国」軍の将校です。「満州国」軍とは日本軍の指導下で、「満州」の抗日ゲリラの討伐をやっていた軍隊です。日本への抵抗派、独立派を弾圧していた人物であり、典型的な親日派です。

なお、朴正熙元大統領は、陸軍士官学校では陸士第五七期ですが、この時の陸軍士官学校校長はのちに沖縄の第三二軍司令官になる牛島満です。第三二軍は組織的に大規模に沖縄各地に慰安所を設置したことは有名です。つまり、旧日本軍出身者が握っていた韓国軍は、日本軍のやり方を真似たのです。

朝鮮戦争の例を持ち出して、日本軍「慰安婦」制度を弁護するのは筋違いでしょう。むしろ日本軍の悪習(犯罪)が、韓国軍にも受け継がれてしまったことを反省しなければならないでしょう。

ベトナム戦争において、南ベトナムに派遣された米軍の前線基地では事実上、「売春婦」を囲い込むようにした事例がわかっています。これは米軍が侵略者だったことと関連があり、周囲を住民に囲まれて外出も自由にできない状況でのことです。中国などの前線に慰安所を設置した日本軍も侵略者であり、周囲の住民に取り囲まれていました。うかつに外出できない状況下では軍陣地のそば(あるいはその一角)に慰安所を設けるのは日本軍も同じでした。

ところで韓国軍兵士がベトナム女性に対して多くの性暴力を行なったことが問題になっていますが、慰安所設置については確認されていません。

侵略戦争と慰安所

第二次世界大戦時の日本軍やナチス・ドイツ、さらにベトナム戦争の米軍の事例から言えることは、いずれも侵略者だったことです。侵略者から郷土を守る防衛のための戦いであれば、慰安所などなくても、郷土の人々を守ろうと将兵たちの士気が高く、かつモラルも高い軍隊だったでしょう。何のために戦争をやっているのか、なぜ郷里を遠く離れて外国で戦争をやらなければならないのか、つまり戦争をする理由がわからないからこそ、士気や軍紀が乱れてくるのです。

(2014年10月24日更新)

朝鮮戦争時の韓国軍の慰安所について記している文書

朝鮮戦争時の韓国軍の慰安所について記している文書

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