教科書に「慰安婦」を書くことは「自虐的」とか、「慰安婦」の問題は国の恥であり、あえてそれを教えて子どもたちに日本人としての誇りを失わせることは教育的でないという人たちがいます。また、「慰安婦」問題は本当のことではない、元「慰安婦」の言うことは嘘ばかりで、彼女たちは売春婦として働いて大金をため、今も賠償金目当てで騒いでいる、などが理由だといいます。
教科書で「嘘」を教えてはいけないのは、全くその通りです。万一、「慰安婦」問題が本当のことではなかったら、教科書に書くのはとんでもないことです。しかし、「慰安婦」問題が事実であることは、世界では共通認識となっています。10代の少女たちを騙して拉致監禁し、一日に何十人もの兵士がレイプし続けて女性の人権が極端に踏みにじられた実態を重視して、国際的には、「慰安婦」ではなく「軍事的性奴隷」と呼んでいます。日本政府に対しては、被害者への謝罪と賠償などの誠実な対応をしなさいと何度も勧告しています。これらについては、他の項目で詳しく述べていますので、ぜひ、目を通して下さい。
では、最初の理由、“国の恥になることは書く必要はない”と言えるのでしょうか?
かつて授業で生徒たちに聞いたことがあります。「日本人にとっては、知るのが辛いようなことを授業で取り上げるのだけれど、どう思う? 知りたいと思う?」と。生徒は、即座に答えました。「知りたいよ。教えて、先生」「当然だよ。本当のことを知らないままだったら、その方が嫌だ」って。そして「先生、嫌なことでも、きちんと正直に言ってくれるのが、本当の友達だよ」と。
横浜にある学校ですので、中華街に住む華人の生徒も多くいます。彼女たちは、「先生が、なんでそんな質問をしたのか、判りません」と感想文に書きました。
「日本が戦争中にやったことを、日本人は知らなさすぎます。本当のことを学ぶのは当たり前です。…私のおばあちゃんは、中国での子どもの頃のことは話しません。でもある時、戦争のニュースを見ていて、日本のしたことはひど過ぎた、中国では日本人を“日本鬼(リーベン・クイズ)”といって恐れたけど、恐ろしいだけじゃなくて、恥知らずだ、と涙を浮かべていました。本当のことを、もっともっと、きちんと教えて下さい。」
私は、日本人だけの視点におちこんでいた誤りを、その生徒から教えられました。被害者側からは、日本の教科書に「慰安婦」問題が載らないことは、どう見えるでしょう。
自分だけを尊重し他を尊重しないのは、自己中心で、本当の自尊心や誇りとは全く違うものです。どんな厳しい真実もしっかり受け止め、謝罪すべきは心から謝罪し、二度と同じ過ちを繰り返さないということが、本当に自分を尊重することなのではないでしょうか。
自国にとって都合の悪いことを教科書に書くのははたして「自虐的」でしょうか? 第二次世界大戦時、日本が同盟を結んだドイツでは、国としての厳格な反省を行動で示し、法律にも定め、教科書にもドイツが行った加害の事実を詳細に書いています。子どもたちは、しっかり学び、二度と同じ過ちを繰り返さないことを自ら考えるそうです。教科書だけでなく、ドイツでは、ありとあらゆる機会と場所で、戦争を反省的に振り返っています。町の中の何気ない場所にも加害の歴史を記録し、今でもナチスの関係者は公職に就けず、私たちが普段やっている「挙手の動作」についても、手を前に出すという動作にしています。なぜって、手を上げる「挙手の動作」は、ハイルヒットラーを思い起こさせるためで、被害者への配慮も含めてのことだそうです。
ドイツ政府は2014年から2017年にかけて、ナチス政権当時に迫害を受けたユダヤ人に対して賠償金として10億ドル(約1010億円)を追加で支払うことを決めました。ドイツは1952年から60年間にわたり総額で700億ドル(現在のレートで約7兆800億円)をナチス被害者への賠償金として支払いましたが、ドイツ政府は定期的にナチス被害者や団体と交渉し、ナチスによる犯罪行為があらためて確認された場合は追加で賠償を行っています。ドイツと日本の違いは、お金の問題ではなく、国としての歴史に対する姿勢の違いです。「ナチスによる犯罪は永遠に追跡する」との意思を表わしているのです。
西ドイツの大統領ヴァイツゼッカーは、1985年に「荒れ野の40年」と題する演説を行いました。少し長いですが引用してみます。
「大抵のドイツ人は自らの国の大義のために戦い、耐え忍んでいるものと信じておりました。ところが、一切が無駄であり無意味であったのみならず、犯罪的な指導者たちの非人道的な目的のためであった……」「心に刻むというのは、ある出来事が自らの内面の一部となるよう、これを信誠かつ純粋に思い浮かべることであります。そのためには、我々が真実を求めることが大いに必要とされます」
「罪の有無、老若いずれを問わず、我々全員が過去を引き受けねばなりません。全員が過去からの帰結に関わり合っており、過去に対する責任を負わされているのです。」「問題は過去を克服することではありません。そんなことができるわけはありません。後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはいきません。
過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです。」
日本の首相や政治家たちは、過去の戦争犯罪を否定し、反人間的犯罪行為の被害者である日本軍性的奴隷の生存者を冒涜(ぼうとく)する発言を繰り返しています。A級戦犯が靖国神社に「神」として祀られ、首相や閣僚、国会議員が参拝しています。アジアの人々にとっては日本の侵略の象徴である「日の丸」「君が代」が学校で強制され、戦争を美化する教科書が(多くの間違いがあるのに)検定を通って使われています。
恥だから隠して知らせなかったら、また、同じような「恥ずかしい」ことを繰り返すかもしれません。じつは、「自分に都合が悪いから隠してしまう」ことの方が「恥ずかしい」ことではないでしょうか? それこそ、自分を虐げ、貶める行為ではないでしょうか。 どんなに「都合が悪く恥ずかしいこと」でも、正直に告白し、なぜそうなったかをしっかりと見つめ、反省し、二度と同じ過ちを繰り返さないこと、そのために事実をしっかり学ぶこと、それこそ、「学ぶ」ことの、大切な意味ではないでしょうか。