8-1 東京裁判とBC級戦犯裁判

東京裁判

まず、A級戦犯を裁いた東京裁判とBC級戦犯裁判という二種類の戦争犯罪裁判(戦犯裁判)について、説明していきましょう。

「戦争犯罪」には大きく言って二つの内容が含まれています。一つは戦争をおこなう際のルールを決めそれに反する行為を戦争犯罪とする考え方であり、もう一つは戦争自体あるいは戦争を起こすこと自体を犯罪とする考え方です。

前者については、傷病兵の保護を定めた第一回赤十字条約(1864年)が最初の条約といえます。その後、ジュネーブ条約(1929年)や「陸戦の法規慣例に関する条約(通称ハーグ条約)」とその付属規則(1907年)など戦時国際法が制定され、捕虜の保護、毒ガスや不必要に苦痛を与える兵器の使用禁止、占領地での住民の生命財産の保護、略奪の禁止などが定められ、それらを侵犯することは戦争犯罪とされるようになりました。

後者の考え方は、第一次世界大戦後のヴェルサイユ平和条約で、この戦争を開始したドイツ皇帝の「戦争開始者責任」が問われたことが始まりです。ドイツ皇帝は亡命したために裁判にかけられませんでしたが、不正な戦争をおこしたこと自体を戦争犯罪として裁こうとした最初の例です。侵略戦争は違法であるという考え(戦争違法化)は国際連盟の規約(1919年)や「戦争放棄に関する条約(パリ不戦条約)」(1928年)などによって発展していきました。

その後、前者を「戦争の法規または慣例の違反(通例の戦争犯罪)」、後者を「平和に対する罪」と呼ぶようになりました。さらに第二次世界大戦中のナチスドイツによるユダヤ人に対するホロコーストという想像を絶する犯罪を念頭において「人道に対する罪」という概念も誕生しました。

目次

A級戦犯を裁いたニュルンベルク裁判と東京裁判~BC級犯罪も同時に訴追~

ナチスドイツを裁くために連合国によって作成された国際軍事裁判条例(ニュルンベルク裁判の根拠、1945.8)の第6条において、犯罪のタイプとしてA項「平和に対する罪」、B項「通例の戦争犯罪」、C項「人道に対する罪」と三つに区分したことから、侵略戦争をおこして「平和に対する罪」に問われた国家指導者たちをA級戦犯、それ以外のB項とC項の犯罪を犯した者をBC級戦犯と呼ぶようになりました。ただこれはアメリカ式の呼び方であり、イギリスは主要major戦犯と軽minor戦犯と呼んで区別しています。なおA級の方がBC級より重い罪という意味はありません。

このA級戦犯を裁く法廷としては国際法廷としてニュルンベルク裁判と東京裁判の2つが開設されました。ただしA級戦犯と言っても、BC級犯罪も同時に訴追されるのが一般的だったので、「平和に対する罪」だけが裁かれたわけではありません。BC級裁判は戦争犯罪の被害を受けた国が開設する権利を有していたので、各国ごとに開設されています。

なおB級とC級犯罪は重なる部分が多いのですが、B級が戦時における敵国民への犯罪であるのに対して、C級は戦時だけでなく平時も含み、自国民への犯罪も対象としていることに大きな違いがあります。たとえばドイツ国民であるユダヤ人を戦争前から迫害したケースは、B級には該当しません。そういう問題があったのでC級が考えられました。たとえば、カンボジアのポルポト派の犯罪は自国民を虐殺したわけだからB級ではなくC級犯罪です。日本についてはC級が適用されませんでしたが、それは植民地民衆(当時は日本国籍)に対する犯罪(強制連行や慰安婦の強制など)が裁かれなかったことと関係しています。

東京裁判に提出された証拠書類の一部

東京裁判と性暴力

東京裁判では、女性への性暴力の視点が弱かったことは事実ですが、提出された証拠書類のなかで性暴力を取り上げたものは、中国関係で39点、東南アジア関係で48点、計87点に及びます。

そのうち、日本軍「慰安婦」に関係するものも8点あります。オランダの検察官は、インドネシアのボルネオ島(カリマンタン)ポンティアナック、モア島、ジャワ島マゲラン、ポルトガル領チモール(東チモール)の4か所での事例について証拠書類を提出しました。そのうちジャワ島のケースはオランダ女性が被害者、残り三つは地元の女性が被害者のケースです。フランスの検察官はベトナムのランソンと、場所が特定されない「数地方」と記されたケース、中国の検察官は桂林のケースを取り上げ証拠書類として提出しています。これらはベトナム女性と中国女性が被害者のケースです(吉見義明監修『東京裁判―性暴力関係資料』現代史料出版、2011年)。これまで日本の戦争責任資料センターの調査により7点としてきたが、同書により「数地方」とされた証拠書類が確認されており、計8点になります。

東京裁判の判決で裁かれた性暴力・「慰安婦」強制事件

こうした検察団の努力により、東京裁判の判決では強かんについて随所で言及されています。また「慰安婦」に関しては、中国についての叙述の中で

「桂林を占領している間、日本軍は強かんと掠奪のようなあらゆる種類の残虐行為を犯した。工場を設立するという口実で、かれらは女工を募集した。こうして募集された婦女子に、日本軍隊のために醜業を強制した」

と桂林のケースに言及され、戦争犯罪として認識されていたことがわかります。

検察が取り上げた「慰安婦」のケースを見ると、第一に、日本人と性的な関係があった女性、あるいはその嫌疑をかけた女性を逮捕して裸にし無理やり「慰安婦」にしたケース、第二に、部族長に「若い女を出せ」と脅して出させたケース、第三に、抗日勢力の討伐に行き男たちは殺害しながら若い女性を連行し「慰安婦」にしたケース、第四に、女工だと騙して募集して無理矢理「慰安婦」にしたケースなどが取り上げられています。つまり日本軍が女性たちを「慰安婦」にした手口の主なパターンが取り上げられていることがわかります。

こうしたことから、日本軍の性暴力と「慰安婦」強制事件は、不十分であるとはいえ、東京裁判において戦争犯罪として裁かれたと言えます。

BC級戦犯裁判で裁かれたスマラン事件

BC級裁判

連合国各国がおこなったBC級戦犯裁判ではオランダが、蘭領インド(インドネシア)でのケースをいくつか裁いています。

有名なスマラン事件は、1944年にジャワ島スマランにおいて抑留所に収容されていたオランダ人女性ら約35人(16、17歳から20歳代)を日本軍が強制的に「慰安婦」にした事件です。2件13人が起訴され、うち慰安所開設の責任者の少佐が死刑、将校6人と慰安所業者4人が2年から20年の禁固刑になりました。

ほかに慰安所に関連して裁かれたケースは、バタビア裁判ではバタビアの慰安所桜倶楽部経営者1人(10年の刑)、東ジャワのジョンベル憲兵隊の大尉1人(他の容疑も含めて死刑、逃亡中に射殺される)、ポンティアナ裁判で海軍大尉以下13人(不法逮捕虐待殺戮の罪も合わせて全員有罪、うち死刑7人)、バリクパパン裁判で慰安所経営者の民間人1人(無罪)があります。起訴された者は全部で29人となります(34人というデータもある)。

アメリカ海軍がグアムでおこなった戦犯裁判において、在留邦人が、グアム女性を「意思に反してかつ同意なしに売春目的で不法に連行した」という「慰安婦」強制容疑で有罪となりました。ほかの容疑も含めて死刑判決が下されましたが、最終的には15年の重労働に減刑されています。中華民国がおこなった中国裁判では、強制売春3件と婦女誘拐1件が扱われているが詳細は不明です。資料公開と今後の調査が待たれます。

このようにBC級裁判では日本軍「慰安婦」への強制事件が戦争犯罪として起訴され有罪判決がいくつも下されています。

戦犯裁判と判決を受諾した日本政府

これらの戦犯裁判を日本政府は否定することができるのでしょうか。日本は、世界を相手におこなった侵略戦争で敗北した結果、連合軍による占領下におかれましたが、1951年9月に調印されたサンフランシスコ平和条約によって、翌年4月に独立を回復した。その第11条において日本国は次のように国際社会に約束しました。

第11条 日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し、且つ、日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行するものとする。(以下略)

ここで単語Judgmentの訳をめぐって「裁判」か「判決」かという議論がありますが、東京裁判とBC級裁判において有罪と下された判断を日本国は認めなければならないことに違いはありません。つまりこれらの「判決」(「裁判」)を日本は受諾しています。

ところが日本政府は、そうした有罪判決を受けた戦争犯罪を反省するどころか、その後、死刑になったり獄死した戦犯を靖国神社に合祀しています。つまり「慰安婦」強制によって有罪となった者を、それと知りながらも、国家の英雄=英霊として称えているのです。戦犯合祀の手続きは、厚生省と靖国神社の共同作業としておこなわれており、これは十一条の趣旨を公然と踏みにじるものです。

平和条約は、朝鮮戦争の最中にアメリカの政治的思惑に沿って作られ、日本の戦争責任をあいまいにしたという問題があります。そうだとしても日本政府が日本軍「慰安婦」強制を否定することは、戦後日本の出発となった平和条約での約束を反故にすることです。冷戦状況を利用して戦争責任から逃げてきたのが日本でした。冷戦が終わった今日、真摯に自らの戦争責任に認め、その責任を果たすことが、平和国家をめざす日本の義務でしょう。

<参考文献>

・粟屋憲太郎『東京裁判への道』講談社、2006年

・戸谷由麻『東京裁判—第二次大戦後の法と正義の追及』みすず書房、2008年

・日暮吉延『東京裁判の国際関係』木鐸社、2002年

・日本の戦争責任資料センター、アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」編『ここまでわかった!日本軍「慰安婦」制度』かもがわ出版、2007年

・林博史『戦犯裁判の研究―戦犯裁判政策の形成から東京裁判、BC級裁判まで』勉誠出版、2010年

・林博史『BC級戦犯裁判』岩波新書、2005年

・吉見義明監修、内海愛子・宇田川幸大・高橋茂人・土野瑞穂編『東京裁判―性暴力関係資料』現代史料出版、2011年

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