〈少女像〉について日本政府は設置前から許可しないよう韓国政府に申し入れ、設置後も撤去を求め続けています。また、「反日」の象徴として「慰安婦像」と呼び(*1)、攻撃のターゲットにした報道や言説が後をたちません。しかし、本当にそうでしょうか?
東京で展示された、〈少女像〉への反応
実際に、日本で展示されたときの反応を紹介しましょう。2015年1月、「表現の不自由展~消されたものたち(*2)」の招待で〈平和の少女像〉は制作者キム・ソギョンさん、キム・ウンソンさんとともに初めて日本にやってきました。展覧会会場では、ソウルの日本大使館前と同じように、〈少女像〉の隣に椅子を並べて置きました。作家の希望で、その椅子に座ることができるようにしたところ、毎日たくさんの人が少女の横に座ったり写真を撮ったり、寒い日にはマフラーをかけたり、涙ぐむ姿も見られました。
じつは、こうした展示方法については、初日の朝、〈少女像〉への攻撃を心配する意見が出され議論になったのですが、その場にいたキム夫妻から「〈少女像〉は傷つくのは避けたいが、だからといって、観る人とのコミュニケーションを疎外したくない」という思いを聞き、作品に直接ふれあうような展示にしたのでした。ハルモニの影は写真で壁に貼りました。
会場アンケート317通のうち、〈少女像〉に触れたものがもっとも多く、20代の人からの感想が目立ったのは特筆すべきことです。
「少女像の隣の空席に座りました。緊張しましたが、突然、会いたい人々が浮かびました。少女も会いたかった友だちも家族もいたでしょうね」(20代)
「実際に横に座ってみたら心に響いた。「慰安婦」だった少女と私、韓国人と私……違うように見えるけど同じ人間で、同じ目線になって考えてほしいという思いがぐんと伝わってきた。「慰安婦」は遠い存在ではなく、私と同じひとりの少女であると気づかされた」(20代)
「肩を並べて座ってみると、とても不思議な感覚を味わいました。自分の娘とも言っていいような少女が抱えこまされた過酷な苦しみ。その目で何を見ているのかと横顔を至近距離で見ているうちに肩を抱きかかえたい衝動にかられて驚きました」(40代)
「少女がまるで息をしているようで魂を感じました。私たちを凝視しているようで、自分の生き方をただされているような気がしました。トークイベントのときもじっと耳を澄ませているように……」(60代)
このように、約2700人が来場した会場では多くの人が〈少女像〉と直接対面し、被害者の心に近づく、想像する、小さな体験をしました。
第1部で見たように、〈少女像〉は、被害者と支援者たちの20年にもおよぶ長い闘いのなかから生まれたこと、それが作家たちの想像力によって細部に宿っていること、だからこそ日本政府だけでなく、韓国政府・社会、そして観る者たちの歴史認識や人権意識のありようまで問いかける作品になっているのだと思います。その意味で、「日本大使館前にあるから〈少女像〉が不快だと言う人は、なぜ″不快”なのか、それを考えてみてほしい」(『増補改訂版 〈平和の少女像〉はなぜ座り続けるのか』34頁参照)という制作者キム・ウンソンさんの指摘は重要です。
被害当事者たちの反応
一方、「慰安婦」被害女性たちにどってはどのような存在なのでしょう。キムポットン金福童(キム・ボットン)ハルモニは、2013年7月、米国カリフォルニア州グレンデールの除幕式に出席した後、次のように語ったそうです。
「〈少女像〉と別れるとき、自分の分身を置いて帰るような気持ちになって、悲しくてしかたなかった。身を引きちぎられるようで、なんとも言えない気持ち。海外に出るのはしんどくて大変だけど、平和の碑が建てられるなら、いつでも飛んでいきたい(*3)」(傍点引用者)
2015年末の日韓「合意」発表後、イヨンス李容洙(イ・ヨンス)ハルモニは、「〈少女像〉を訪ねるたびに、どれほど慰められたかわからない。日本が謝罪した後に、寒空に裸足で座っている〈少女像〉に靴を履かせる(*4)」と語っています。
そして昨年(2016年)1月26日、日韓「合意」後初めて当事者として来日したイオクソン李玉善(イ・オクソン)ハルモニとカンイルチュル姜日出(カン・イルチュル)ハルモニ(前頁写真)は、日韓「合意」について「私たちを無視した『合意』は受け入れられない。まず被害者に会って、内容を説明してからするべきだ」(李ハルモニ)とし、「私たちがこうやって生きているのに〈少女像〉を撤去するなんて……〈少女像〉を撤去することは、私たちを殺すことと同じです」(姜ハルモニ)と語りました(*5)。
さらに李容洙ハルモニは言います。
「〈少女像〉は、東京のど真ん中に建てて(日本人が)往来して謝罪してもすっきりとしないのに、韓国に建てたものも他所に移そうとしている(*6) 」と。
日韓「合意」は、歴史教育に言及しないばかりか、〈平和の少女像〉の撤去・移転まで示唆しています。〈平和の少女〉はなぜそこに座り続けるのか―私たちはその意味をあらためて考える必要があります。撤去どころではなく、むしろ日本にもこうしたモニュメントが必要なのではないでしょうか。日本の加害の歴史を忘却するのではなく、記憶し続けることこそ、二度と同じ過ちを繰り返さないための未来への責任だと思います。
(岡本有佳)
※本稿は、岡本有佳・金富子責任編集『増補改訂版 〈平和の少女像〉はなぜ座り続けるのか』に収録されたものです。正確には同書をお読みください。
*1 〈平和の少女像〉を全国紙四紙は「少女像」「慰安婦像」「慰安婦少女像」と呼んでいたが、日韓「合意」以後の報道では『朝日新聞』『毎日新聞』は「少女像」に呼称を統一したようである。『産経新聞』は引き続き「慰安婦像」「慰安婦少女像」と呼び、『読売新聞』は「慰安婦像」「少女像」の両者を用いている。第1部で明らかなように「慰安婦像」という呼称は、「平和の碑(少女像)」の制作に関わった人々の意図とは異なる。
*2 2015年1月18日から2月1日、東京・練馬のギャラリー古藤で開催。2012年東京都美術館「第18回JAALA国際交流展」で美術館側によって撤去された〈少女像〉など、表現の自由が侵害された作品を展示した。『表現の不自由展~消されたものたち』図録(同展実行委員会編集・発行、2015年)など参照。
*3 韓国へ帰ってからの発言。日本軍「慰安婦」問題解決全国行動共同代表・梁澄子氏の聞き取り。
*4 CBSノーカットニュース(韓国)2015年12月28日。http://m.nocutnews.co.kr/news/4524406
*5 岡本有佳「被害者の声を無視」『週刊金曜日』1074号(2016年2月5日)参照。
*6 前掲CBSノーカットニュース。