国連クマラスワミ報告とは
クマラスワミ報告書とは、1995年から2002年にかけて、ラディカ・クマラスワミ「女性に対する暴力、その原因と結果に関する特別報告者」が国連人権委員会に提出した数十本の報告書のことです。日本では、そのうち特に1996年の「日本軍性奴隷制に関する報告書」を指すのが一般的です。
クマラスワミ特別報告者は1994年の国連人権理事会で任命されました。クマラスワミ報告書は、1993年に国連総会で採択された「女性に対する暴力撤廃宣言」の定義に従って、家庭における女性に対する暴力、社会における女性に対する暴力、国家による女性に対する暴力の3つの分類を基にしています。日本軍性奴隷制に関する報告書は、国家による女性に対する暴力の重要事例の一つとして取り上げたものです。
クマラスワミ特別報告者はこんな人
クマラスワミ特別報告者はスリランカの女性弁護士で、スリランカ人権委員会委員長です。1993年のウィーン世界人権会議の決定によって、国連人権委員会に「女性に対する暴力特別報告者」を設置することになり、1994年の国連人権委員会の決定によってクマラスワミ特別報告者が任命されました。クマラスワミ報告者は、1995年から2002年まで女性に対する暴力の撤廃に向けて多くの報告書を国連人権委員会に提出しました。女性に対する暴力特別報告書の任務終了後、国連事務総長から委嘱されて「子どもと武力紛争特別代表」として活躍しています。
報告書の特徴
クマラスワミ特別報告者は、1995年7月にソウルと東京を訪問して、韓国政府及び日本政府から聞き取りを行い、資料の提供を受けました。平壌も訪問予定でしたが、期日が合わなかったため訪問できなかったので、人権センター代表が代理で訪問して調査しました。報告書はこれらの資料に基づいています。
クマラスワミ報告書は、「慰安婦」問題を「戦時、軍によって、または軍のために、性的サービスを与えることを強制された女性の事件を軍事的性奴隷制の慣行」と定義しています。第1に、国連人権委員会差別防止少数者保護小委員会で議論されてきた性奴隷制および奴隷類似慣行の概念が有益であること、第2に、「慰安婦」という言葉は被害実態を示すのに適切でないことから「軍事的性奴隷」という言葉の方が適切であるとしています。
クマラスワミ報告書は、16人の被害者から聞き取りを行っていますが、チョン・オクスン、ファン・ソギョン、ファン・クムジュ、ファン・ソギュンの証言を紹介しています。
クマラスワミ報告書は、自国の法的責任を否定する日本政府の立場を紹介・検討して、現代国際法の下では、重大人権侵害についての責任者の訴追や、被害者の賠償請求権が認められていることを明示しています。1907年のハーグ陸戦規則や、1929年のジュネーブ捕虜条約、そしてニュルンベルク・東京裁判憲章などに照らして、当事の国際法の下でも日本政府に責任があったことを確認しました。
報告書の勧告
クマラスワミ報告書は、最後に、日本政府と国際社会に対して勧告を出しています。日本政府に対する勧告は次の6項目です。
(a)第2次大戦中に日本帝国軍によって設置された慰安所制度が国際法の下でその義務に違反したことを承認し、かつその違反の法的責任を受諾すること。
(b)日本軍性奴隷制の被害者個々人に対し、人権および基本的自由の重大侵害被害者の原状回復、賠償および更生への権利に関する差別防止少数者保護小委員会の特別報告者によって示された原則に従って、賠償を支払うこと。多くの被害者がきわめて高齢なので、この目的のために特別の行政審査会を短期間内に設置すること。
(c)第2次大戦中の日本帝国軍の慰安所および他の関連する活動に関し、日本政府が所持するすべての文書および資料の完全な開示を確実なものにすること。
(d)名乗り出た女性で、日本軍性奴隷制の女性被害者であることが立証される女性個々人に対して書面による公式謝罪をなすこと。
(e)歴史的現実を反映するように教育カリキュラムを改めることによって、これらの問題についての意識を高めること。
(f)第2次大戦中に慰安所への募集および収容に関与した犯行者をできる限り特定し、かつ処罰すること。
報告書への批判
クマラスワミ報告書に対しては、国連人権委員会は報告書を留意したが、歓迎したのではないという指摘がなされました。また、 「事実誤認がある」との指摘もあります。
第1に、1996年の国連人権委員会53会期は盛大な拍手でクマラスワミ報告者を迎えました。そして、全会一致でクマラスワミ報告者の活動を「歓迎」し、報告書に「留意」したのです。全会一致ということは、日本政府も反対できなかったということです。国連人権委員会は、国連加盟国から選挙で選ばれた53カ国の政府によって構成されていて、当時、日本政府も人権委員の地位にありました。
第2に、報告書には一部に事実誤認があることが指摘されています。確かに一部に誤認はあります。しかし、報告書全体の趣旨を損なうような大きなミスはありません。重要なことは、クマラスワミ特別報告者は、日本政府を含む国連人権委員会の決議によって特別報告者に任命され、日本政府の招待を受けて日本を訪問し、日本政府から情報提供を受けて、報告書を作成したという事実です。
日本政府が適切かつ十分な情報を提供したにもかかわらず十分な報告書にならなかったのならばクマラスワミ特別報告者を批判することができるでしょう。しかし、事実は逆です。もし、報告書に不備があったとすれば、十分な調査をしなかった日本政府、必要な情報公開をしなかった日本政府にその責任があるのです。
第3に、1996年の国連人権委員会で、日本政府が「怪文書」を配布したことを忘れてはなりません。クマラスワミ報告書の否決をめざした日本政府は、報告書に反論する文書を準備して、人権委員会事務局に提出し、一部の政府代表に配布しました。ところが、この反論文書は特別報告者を不当に中傷していると批判の声があがったため、日本政府は反論文書の撤回を余儀なくされました。日本政府はこの文書の存在を隠そうとしましたが、国連人権委員会会場で配布され、すでにコピーが出回っていて、多くの人権NGOがコピーを入手しました。その後、日本政府は「説明用の資料にすぎない」と釈明しました。国連人権委員会という国際舞台で日本政府が「怪文書」をばらまいたのは、それだけクマラスワミ報告書が痛手だったからでしょう。
報告書の意義
クマラスワミ報告書は、武力紛争時における女性に対する性暴力に対して、現代国際法がどのような対処を可能としているのか、また、どこに不備があるのかを示す重要な役割を果たしました。国際人権法と国際人道法を適用することで責任追及をなしうる場合と、現在の国際法では十分な対処ができない場合の限界について明確にしました。1996年当時は、国際刑事裁判所を設置するための国際交渉が行われていたさなかであり、旧ユーゴスラヴィア国際刑事法廷やルワンダ国際刑事法廷の活動も始まったばかりで、まだ判決が出ていませんでした。クマラスワミ報告書が示した武力紛争時における性暴力に対する訴追と処罰は、1998年以後に実現していくことになりました。
「慰安婦」問題についても、当時の国際法の解釈によって日本政府の法的責任を解明できることが判明しました。クマラスワミ報告書の国際法の議論は、1998年のマクドゥーガル報告書や2000年の女性国際戦犯法廷に継承されました。
クマラスワミ報告書の勧告は人権NGO・市民運動に歓迎され、クマラスワミ6項目勧告として、被害者の請求を求める運動の出発点となりました。クマラスワミ報告書に反発した日本政府でさえ、法的責任は認めないものの、個人被害者に対する賠償に代わる措置、首相による「お詫び」の手紙、学校教育への反映など若干の措置を講じざるを得なくなりました(その後、逆転していきますが)。
<参考文献>
ラディカ・クマラスワミ著・クマラスワミ報告書研究会訳『女性に対する暴力――国連人権委員会特別報告書』明石書店、2000年
ラディカ・クマラスワミ著・VAWW-NETジャパン翻訳チーム訳 『女性に対する暴力をめぐる10年--国連人権委員会特別報告者クマラスワミ最終報告書』明石書店、2003年