安倍首相の定義の矛盾
安倍晋三首相は2006年から翌年にかけての首相時代に、「官憲が家に押し入っていって人を人さらいのごとく連れて行くという強制性はなかった」(2007年3月5日参議院予算委員会)、「この狭義の強制性については事実を裏づけるものは出てきていなかったのではないか」(2006年10月6日衆議院予算委員会)などと、「狭義の強制」がなかったと言い張ることによって日本軍「慰安婦」制度を弁護してきました。
安倍首相の定義を朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮)の拉致問題にあてはめると、「官憲が家に押し入っていって人さらいのごとく連れて」行った例は確認されていないので、拉致された人で強制された人はいなかったという結論になります。横田めぐみさんの場合も、「家に押し入って」連れ去られたわけではありません。
また、日本軍の公文書で裏づけられていないという理屈を適用すると、北朝鮮の公文書で拉致を裏づけるものが出ていないのですから、それが明らかになるまでは拉致が事実かどうかは認定できないことにもなります。
北朝鮮によって拉致されたと日本政府によって認定された人のなかには、横田めぐみさんのように、直接の暴力によって力づくで連行された人もいれば、神戸市の飲食店店員だった田中実さんのように、「甘言により海外へ連れ出された」(2005年4月25日警察庁発表)人もいます。田中実さんの件について、警察庁は、「複数の証人等から、同人が甘言に乗せられて北朝鮮へ送り込まれたことを強く示唆する供述証拠等」が入手できたとしてそれらを根拠に拉致されたと認定しています。
ここでは、北朝鮮の公文書によって裏づけられておらず、供述証拠という証言によって拉致が認定されています。また、力づくで連行されたとは認定されておらず、「甘言」、つまり、うまい言葉で騙されたということですが、拉致に変わりはありません。
もし、安倍首相が拉致被害者の家族に対して、北朝鮮の公文書で裏づけられないので拉致とは認定できないとか、あなたの家族が北朝鮮にいるのは「狭義の強制」によるものではないと言ったとすれば、どうなるでしょうか。
これだけでも、安倍首相の認識は正しくないことがわかると思います。力づくで連れて行っても、甘言で騙して連れて行っても、ともに拉致であり、犯罪です。安倍首相の理屈は、単なるダブルスタンダード=二枚舌でしかないでしょう。
連行時の暴力だけは問題ではない
次に、ヨーロッパから拉致されたと考えられている、スペインのマドリードに滞在していた石岡亨さんと松木薫さん、さらにイギリスのロンドンに留学していた有本恵子さんのケースを考えてみましょう。
警視庁のウェブサイトによると、次のように説明しています。
「欧州における日本人拉致容疑事件
(中略)「よど号」グループは、仲間を増やすためヨーロッパから何も知らない青年を北朝鮮に連れ込もうと画策し、昭和55年5月、「よど号」グループの二人の女性(森順子被疑者、若林佐喜子被疑者)が、スペインのマドリードに滞在していた北海道出身の石岡亨さん(当時22歳)と熊本県出身の松木薫さん(当時26歳)らに対し、「共産圏を旅しないか」などと誘い、また、昭和58年7月、「よど号」ハイジャック犯人の魚本公博(旧姓・安部)被疑者らは、イギリスのロンドンに留学していた有本恵子さん(当時23歳)に対し、「マーケットリサーチのアルバイトを紹介する」などと誘い、北朝鮮に連れ込みました。(以下略)」
この説明によると、石岡さんと松木さん、有本さんも甘言あるいは詐欺によって誘われて連れて行かれたということです。
北朝鮮に拉致しようとする場合、新潟県の横田めぐみさんのようなケースでは、直接暴力で捕まえて連行することは可能かもしれませんが、スペインやイギリスにいる人を連行しようとすれば、どうでしょうか。まずはうまい話で騙して本人にその気にさせて、ある地点まで来させる必要があるのです。そしてその後、身柄を拘束したと考えられます。
ここまでみてくると、こうしたやり方は日本軍が「慰安婦」として女性を集める時のやり方と非常に似ていることがわかっていただけると思います。
たとえば、中国の山西省やフィリピンなどでよく知られているケースですが、日本軍が駐屯地の近くの村から女性を暴力的に連行することがしばしば行なわれています。そうしたケースでは、女性を拘束して車などに乗せて駐屯地に連行してきます。近場ではこうした手法が可能です。
他方、日本や朝鮮から中国や東南アジアなど遠方に連れて行く場合、騙して女性本人になんらかの期待をもたせるか、あるいは自分が行くしかないとあきらめさせる方法が一般的です。つまり、軍人の身の回りの世話をするだけだとか、ウェイトレスなどと騙して連れて行き、ある地点で軍に引き渡してそこから身柄拘束がはじまるという方法です。ですから朝鮮半島からの連行において、このような詐欺・甘言による連行が多いのです。
今日においても、世界各地から日本などに来て性売買を強制されている女性たちに関して同様の手法が採られます。日本に連れて来る場合、飛行機を使うのが一般的ですが、ウェイトレスやダンサーだなどの仕事でお金を貯められると言って本人に期待を持たせ、成田空港に着くと暴力団に引き渡されてパスポートを取り上げられ、拘束され、性売買を強制されるというパターンです。その場合、その女性が転売されて借金漬けにされ、借金を返すために性売買を強制されるパターンも少なくありません。この点は日本軍「慰安婦」でもよく見られるケースです。
北朝鮮による拉致、日本軍「慰安婦」の連行、現在の性売買の強制、この三つをみていくと、共通性がはっきりします。
北朝鮮による拉致の場合、暴力で連れて行っても、甘言や詐欺で連れて行っても、日本政府は同じ拉致として認定しています。暴力を使っても甘言や詐欺で連れて行っても、ある地点からその自由が拘束されれば、同じ犯罪です。ですから北朝鮮による拉致が犯罪であると同様に、日本軍「慰安婦」にしたことは、暴力を使おうと、甘言や詐欺で連れて行こうと犯罪なのです。
連行時の暴力だけが問題だという考え方では、今日性売買を強制されている女性たちは犯罪の被害者ではないということになります。そんな考え方がはびこっているから、日本社会で性売買やそれにともなう強制売春、人身売買が横行しても、おかしいと思わない、人権後進国になってしまっているのではないでしょうか。
北朝鮮による拉致は重大な犯罪であり、許すべからざる行為です。北朝鮮政府は拉致した被害者をただちに解放、帰国させなければなりませんし、責任者の処罰、被害者への公式謝罪と個人賠償、再発防止策を実行しなければなりません。そのことと同様に、日本軍「慰安婦」にされた女性たちに対して、日本は同じように償わなければならないと思います。
(2014年10月24日更新)