金美穂(キム・ミホ) CWJC(「慰安婦」正義連盟)共同呼びかけ人・世話人
●「慰安婦」記念碑の碑文
碑文(日本語訳) 「私たちにとってもっとも恐ろしいことは、第二次世界大戦中の私たちの痛ましい歴史が忘れられてしまうことです。」
——-元「慰安婦 」
この記念碑は、1931年から1945年まで日本軍によって性奴隷にされ、「慰安婦」と呼ばれたアジア太平洋地域13ヵ国にわたった何十万人の女性と少女の苦しみを表しています。その女性たちの大多数は戦時中囚われの身のまま命を落としました。この暗い歴史は、生存者が勇敢に沈黙を破った1990年代まで、何十年も隠されていました。生存者たちの証言が世界を動かした結果、戦争手段としての性暴力が人道に対する罪であり、加害国の政府が責任を負わなければならないと国際社会が宣言することとなりました。
この記念碑は、これらの女性たちの記憶のために捧げられており、世界中での性暴力や性的人身売買を根絶するために建てられたものです。「慰安婦」正義連盟 寄贈
はじめに
2017年9月22日、待ちに待った日がとうとう来た。日本軍「慰安婦」性奴隷とされた女性たちを偲び、記憶するメモリアルがサンフランシスコにてデビューする、幕開けの建立式が、わずか2、3週間という短期間で企画された。世界各地の主流のメディアが報道し、米国のみならず、世界中で反響を呼んだ手応えを実感できた、実りの多い事業だった。3週間経った今でも、さまざまな取材のリクエストがまだ入って来ているし、地元新聞では日本領事を交えた意見交換が本日の朝刊でも掲載されている。波紋が広がっていることがしみじみと実感できる。
朝鮮半島での侵略を唱えるトランプに対抗しようと、コリアンのみならず平和運動から国家安全保障関係のエキスパートらも全国規模での動員を今現在試みているが、極東地域の安全、戦争を防ぐ、そういった側面からも、なぜ「慰安婦」問題が解決されなければいけないのか、より深く理解したい、という声が、教育の現場や運動体の議論の場でもあがっている。その反面、女性に対する性的暴力すべて根絶する運動に関わってきたさまざまな女性組織やフェミニスト教育者らの集まりなども、「慰安婦」問題についてもっと知り、自らの今後の活動に盛り込んで取り組んでいきたいという姿勢を示している。
今や「慰安婦」問題は「慰安婦問題に取り組んでいる人たち」だけの課題ではなく、「チャイニーズ、コリアンの問題」でもなく、さまざまな社会問題に取り組んでいる人たちが、ラテン系の若者からパレスチナ人学生に至るまで「これは我々自身の正義問題だ」と身近に意識しつつあるのを感じ取ることができる。サンフランシスコ市自体がこのメモリアルを掲げるということの意義が市民個人個人のレベルで生きた形で具現化している気がする。私の個人的視点からであるが、この寄稿を通して、ここサンフランシスコでのメモリアル建設、建立に到るまでの過程を振り返り、これからの連帯をも含む展望について考えてみたいと思う。
分断ではなく、連帯のCWJC
特に日本のマスコミは、この活動は、華僑及び韓国系の市民が設立した「慰安婦」正義連盟「Comfort Women Justice Coalition (CWJC)」という団体によるものだと報道されているようだが、現実はかけ離れている。日本政府や反対勢力にとって、「日本をやっつけたい中国と韓国が常にこの問題を「ぶり返す」張本人なんだ」と国民に思わせることは、愛国心を煽り、国家間のライバル競争に国民を参加させるためにも都合がよいことだろう。だが、実際のところ、実に多様な背景の人材や団体、教育組織などなど、独自の持ち味を生かしてCWJCのメモリアル実現の共通ゴールに向けて関わって来た。
日本の右派が西海岸に上陸
ここサンフランシスコ・ベイエリアでは、2014年末、在日特権を許さない会(在特会)の幹部を務めていた山本優美子氏が、幸福の科学のメンバーらその他の在米日本人達と「なでしこアクション」という名義のもと、「慰安婦は高給取りの娼婦だった」などと熱演する日本語のワークショップを行なっている。
それから約半年後、再び知らせが来た。「来週7月22日のサンフランシスコ市議会の公聴会で「慰安婦像決議案」が取り上げられるが、日本人右派の反対勢力が押しかけてくるだろう。対抗するために誰か参加して証言するべき」という内容だった。私は仕事の関係でホノルルにいたのだが、連絡を受けて、「え? 慰安婦像決議案?」と、その存在すら知らなかった自分に驚きながら、即座に仲間らにそのメッセージを転送し、急だが可能な限りこの公聴会に参加するように促した。
案の定、ベイエリアで長年ハルモニらと連帯して一緒にアクションを起こして来た仲間ら誰もこの決議案について知らなかった。誰が提案したのか? どうやって? なぜ誰も知らないの? 何一つ答えはなかったが「とりあえず、参加して、多くの仲間も誘って下さい。そして、議員らに混乱を招いたり、最悪な事態、決議案が潰される結果だけは阻止しなければ」。そうしてわれわれの人脈を通じて数人が駆けつけた。女性の反軍事主義運動歴の長いグイン・カークさんや、在日コリアンの学者の絹川知美さん、「平和の為の帰還兵」団体のサンフランシスコ支部長のマイク・ウォングさん、その他数人が参加したのだが、そこで10人以上のさまざまな肩書きの在米日本人・新移民の個人らが「日本バッシングは許せない」「こんなことがまかり通る社会は、我々日系アメリカ人にとって再度戦時中の収容所体験を強いることになりかねない」「慰安婦は娼婦であって、韓国のリクルーターがやった事日本のせいにするのは遺憾だ」など、日本でもよく耳にする論点を並べたのだ。日本では聞き慣れていているこういった言論は、せめてこの地域ではこの場で正式デビューしたといっても過言ではないかもしれない。ただ一点異なるのは、アメリカではこれらの人々は、自称「ジャパニーズ・アメリカン」であるからして、戦時中の収容所体験はまるで自分が被害者かのような視野で証言する点だろうか。他社のアイデンティティを都合よく乗っ取る行為は戦時中から滞在して新移民にはない苦労を背負って来た日系アメリカンに侮辱であり、聞き手の同情を得る為の卑劣な手口としか言えない。
ともかく、この場にいたエリック・マー議員は、狐に包まれたようだった(アメリカでは、「車のヘッドライトと向き合って硬直してしまう鹿になった」と言う表現を使うのだが)と回想したが、これまでは、決議案草案を練って来た「南京大虐殺補償連合Rape of Nanjing Redress Coalition (RNRC)」には「反対派は存在しない。なんの問題もなく通過する見通しだから、動員もしなくていい」と話していた矢先にこの場面に遭遇したのだから、途方にくれたと言う。この公聴会が終わって、私たちの仲間数人が集まったところ、RNRCのメンバーが「あなたたちは一体誰ですか。きてくれて本当にありがとう」と自己紹介をして、初めてRNRCと、社会正義運動体を構成する草の根の市民グループのセクターがここで顔合わせをし、私たちは、決議案についての背景について学ぶことになった。その直後、とにかく 共同サポートグループを結成するか否かの趣旨で正式に会議と議論の場を持とうということになった。
草の根コミュニティの集結
その後私とマー議員は、RNRCが4年前から進めて来たこの決議案、もはや、幅広い市民のサポートの土台がなければ先が危ういという点と、「これは一体誰の仕業なんだ」と皆が当惑する最中、成功への糸口を掴む為には反対勢力派の分析が必要でその情報は土台となる市民らに普及されるべき、との2点で同意した。 マー議員の要望に沿って、私の所属するエクリプス・ライジング(在米在日コリアングループ)及びJMRF(日本多文化救済基金、日本太平洋資料ネットワークとエクリプスライジング共同で設立した日本マイノリティ支援の助成金プロジェクト)の名の下、公聴会にも参加されたグイン・カーク氏や絹川知美博士の顧問の元、世界各地でフェミニスト人権活動家らを支援するUrgent Action Fundという財団から幸いにも助成金を得て、即座に、問題意識を共有する人々や団体に戦略会議を保つべく幅広く呼びかけた。公聴会に参加したほぼ全員を含め、17団体(22名)が参加した。これが、後のCWJC発足につながった。
「FeND [脱植民地化を目指す日米フェミニストネットワーク]」を招き、公聴会に参加した在米日本人の歴史否定派の勢力を分析したプレゼンテーションをしていただいたが、決してランダムに各個人がたまたま現れたという現象ではなく、意図的に「歴史戦」の戦略の一環として行使されたプランの側面だったという揺るがぬ確信をそこで得た。市民側が団結をしなければ日本政府のバックアップ付きの反対勢力に効果的に対抗できないと考え、その時点でCWJCを設立するというコンセンサスは、もう自然の成り行きだったといえる。
決議案発案母体、RNRC
4年以上も前から、決議案のアイディアの発想から草案の作成を経て、公聴会の議題に盛り込まれるまでに渡って下準備をして来たのが、リリアン・シン元加州最高裁判事及びジュリー・タン元サンフランシスコ裁判所判事2名が率いる「南京大虐殺補償要求連盟」(RNRC)であるが、私たちは皆、彼女らと初対面だった。その他RNRCのメンバーの方々も参加されたが、誰一人として草の根の市民グループ側の我々と面識があるものはいなかった。でありながらも、彼女らの熱意とこれまで発揮してこられたリーダーシップ能力に絶対的信頼を寄せ、全員一致でCWJCの現役の共同代表になっていただく事になったのだった。
地元の政治的状況を深く把握し、責任者や市の有権者数多くとすでに人間関係を持つ共同代表らのリーダーシップと職業柄の定評なければ、いくつもの行政・管理機関を相手に何十という許可取得等のハードルを超える事はできなかったはずだ。同様に、数ヶ月後メンバーに加わってくれた南カリフォルニア在住のフィリス・キム氏は、グレンデール市ですでに少女像を建てた歴を持つ力強い経験者で、世界各地でのメモリアル建設運動に携わってこられたが、彼女の視点からも、成功の鍵は、幅広い草の根の市民の連携にある、と強調されている。日本政府や企業も含む反対勢力の妨害や分断も連携の道のりを険しくした要因の一つでもあるが、まさに「1+1=2プラスアルファ」といういわれを具現したパワーを発揮することができたと感じる。
不可欠だった日系のサポート
約2年に渡って、かなりテンションの高いバトルの連続だった。主要な戦略として、共同代表のリリアンとジュリーが、メモリアル実行委員会のサポートと共に、市の政治の世界のナビゲーションをリードした。同時進行で、教育委員会や、教育現場などでも各セクターをターゲットする委員会を作り、「慰安婦」正義運動に関しての啓発から始めた。反戦女性グループでも、この問題を知る人は少なかった。知名度を上げ、啓発に力を入れ、同時に、「過去のこと、既に終わったこと」とくくるのではなく、「今現在でも性奴隷制度や行為は国家のみならず民間でも蔓延っていて世界で2000万人の女性たちが苦しんでいる。ここサンフランシスコは、FBIによると全国有数の人身売買のメッカであり、女性差別撤廃条約を、全国で初めて自治体レベルで批准した市として、性奴隷制度を断固として許さない、強固なスタンスを取る根拠が揃っている理想な街だ」と、訴えた。人権や権利意識が比較的養われているオーディエンスが対象で、女性の人権問題なのだというメッセージを取り入れたが、そうすることによって、国連の人権法専門家らのランゲージを活用することも容易にできた。
アジア太平洋地域出身のコミュニティはサンフランシスコ市の人口の3割を占めるが、日本の侵略戦争の記憶を背負っていることもあって、教育現場などで教員が「慰安婦」制度の歴史を教えると、次の日生徒が「家族にその話をしたら、おばあちゃんが若い頃村に日本兵が来て娘を連れて行ったという思い出を話してくれた」などと話し、オーラルヒストリーのプロジェクトに展開したというケースもある。性的暴力被害者の若い女性たちにカウンセリングを行っている心理学者で日系アメリカ人のリサ・ナカムラ氏は、戦時中家族がアリゾナの収容所(「キャンプ」)に入れられたつらい歴史がある。同年代のリサは、20代の頃から日系アメリカ人収容所巡礼の旅を毎年恒例で企画するなどしてきた。数回、戸惑う仲間には手土産を持って会いにいってとりとめのない会話から本題に入っていった。3度目だったか、お邪魔した際に、「キャンプ内でも性的暴力はあった」と、名乗り出た被害者の女性に寄り添って、「毎日職場で被害者の若い子たちを見ていると、「慰安婦」とされた女性たちもこうだったのか、と思い、背を向けるわけにはいかない 」と、ペンを取り、日系人として、「慰安婦」被害者の尊厳を取り戻す正義を日本政府に要求するこの運動に参加する、とメディアに投稿して反響を呼んだ。分断されたコミュニティ内で非国民呼ばわれされるリスクを抱えていたが、彼女以外に多くの日系人も人権に忠実な人なら迷わず賛同した。アメリカで一番著名な日系人といっても過言ではない、故フレッド・コレマツ氏は収容所行きを拒否して最高裁までいって敗訴したアメリカ市民だったが、彼の娘のカレン氏も「私の父親はアメリカ政府に不服従した、なのにアメリカのヒーローです。我が国の聖なる人権たるものを命をかけて守ったから」とし「不正義はどの政府でも免罪符を与えることは、絶対父は反対したでしょう」と、これは日本いじめでも中国の企みでもなく、正義の問題なのだと主張した。
何しろ、日本領事館やなでしこアクションやグレンデールでもメモリアルに反対して来た日本人市民団体などから、オー・ソンへや目良光一による英語版の本や、サンフランシスコ日本領事がまとめた「謝罪の略歴のまとめ」たる記録の抜粋など、すべての市議員に送りつけ、ジャパンタウンなど、ジャパニーズ・アメリカンのコミュニティで長らく貢献して来た著名な有権者らを数人勧誘し、サンフランシスコにとって貴重な日系コミュニティ自体が総出で決議案に反対するように務めた。
「分断と支配」とはよく言ったもので、日本政府らは、まず日系コミュニティの分断を狙ったのは当初から明らかだった。日本企業の多くは財団やチャリティーに活発だが、そういった希少資源に頼って来たジャパンタウンの組織などにもプレッシャーをかけたという噂は一気に広まった。「また日系だからと言っていじめられるのはごめんだ」「この延長線上にまた日系人の犯罪者扱いと収容所の監禁が待ち受ける運命なのか」興味深いことに、グレンデールでも全く同じ現象が起こった。全く証拠も根拠もないところに、「少女像が建って以来、日本人の子供が学校でいじめられている」と、日本でもセンセーショナルに報道されたようだが、人種差別のデータを全国規模で収集するFBIでもそんな通報の記録は存在しないことが判明している。
民族性や国籍を超えた団結
ジャパニーズのディアスポラのみならず、アジアン層のコミュニティ全体にても、日本は韓国と中国にまったく理不尽な言いがかりをつけられた上に、 自分だけ不当にも祭り上げられてしまった可哀想な国だという、同情をそそるかのような表現を耳にするようになった。 2015年4月、米国議会にて 演説をした安倍首相は、 戦後生まれた罪のない日本の国民が「未だに延々と幾度にも渡って謝り続けなければならない」事態を正すために追及すべき責任の所在は、謝ることを拒んで来た日本政府ではなく、正義を求めている被害者や、被害者の要求を代弁する他国の政府や市民にあると言わんばかりの発言だった。手っ取り早くいうと、中国人、韓国人などであろう。ジャパンタウンは、今やコリアンや華僑のビジネスも住民も多い、人口密度の高い地域で、老人ホーム施設には、アジア各国からの住民が隣り合わせに住んでいたが、地元の僧侶 は、「もうこの決議案のせいで、韓国人のオジィちゃんと、隣の日本人の方は、口利きなくなりましたもんねぇ」と、 消極的だった。「ですから、慎重にやってくださいよ。」亀裂が起こったらわれわれが非難されるのは許容範囲だとしても、われわれのゴールが妥協されるのは避けなければいけなかった。日系ラテン・アメリカンのグレース・シミズさんは、長年日系アメリカ人による米国の補償責任を追求してきたが、日系コミュニティでは活発に奉仕をされており、彼女の定評や既存の関係も大いに助かって、幾度にも渡って特に日系の市民との対話を行い、配慮すべき点をCWJCのために、組み上げてきた。
サンフランシスコは、エスニック・スタディース(民族学)の発祥地であるアメリカの白人優越思想を覆し、同化も差別も撤廃し公正な社会を創るというビジョンのもと、あらゆる被抑圧者が団結して自らの存在や歴史を次の世代のために取り戻す空間を学問の中でも勝ち取ってきた。その歴史的背景から見ても、あらゆる分断を図る反対勢力の民族的、国家的分断の影響を見ても、パン・アジアン(環アジア)の人々の連帯と人間関係の絆を守る事は必須だった。アジア系の教員や研究者はアジアン・アメリカン学部(エスニックスタディース傘下の分野)学会にて分科会を結成したり、CWJCの講演会を数々企画したり、教室を公開したりして、生徒たちや校区などにも影響を及ぼした。その成果の一つが、2015年10月にサンフランシスコ教育委員会が全員可決で採択した「慰安婦」歴史教育促進の決議案だろう。
カリフォルニア州のレベルでも、高校の社会学部門の教科書の改善に向けて、数年に一度のパブリックコメントのチャンスが到来した。われわれはサクラメントまで足を運んで、証言をしたり、資料を送って対話を続けながら、「慰安婦」問題の歴史が教科書に盛り込まれるようにロビイングを続けた。結果、州の教育委員も全員がサポートする結果となって私たちは舞い上がって喜んだ。だが、発表された書類には、日本外務省による2015年末の日韓「合意」発表 のリンクを盛り込んであるではないか。公聴会で投票を通して決定していたにもかかわらず、その後、韓国政府(当時朴 槿恵政権)と日本政府両方から直接圧力がかかり、 あたかもその問題の解決を象徴するかのように日韓「合意」を記述すると。「慰安婦」問題の歴史に関して、日本政府が他国の教育方針にいちゃもんをつけるのはこれが初めてではない。しかし、公共の州の教育委員会にまで掘り下げて介入するのは前代未聞だと、CWJCメンバーの絹川知美博士をリードに有数のパン・アジアンの学者らが抗議を発表した。今現在の時点でも、州の教育委員会との交渉は続いているが、油断はまだ許せない。メモリアルが無事に建設されたというニュースは届いているはずであるから、追い風になったらよいのだが。
運動参加としての寄付貢献
資金調達に関しては、サンフランシスコ地域はフィランソロピーのインフラ整備や歴史が根強いコミュニティだが、この問題が比較的知られていないために、すでにCWJCのメンバー団体のドナーである個人らや、コリア系・華僑の商工会関係の組織などが独自にファンドレイザーなどを主催して、メモリアルの20年間のメンテナンス予算の28万ドル集めた。草の根の市民グループらは自分の家賃や生活にも困るものも多く、資金調達はもっぱら草の葉レベルで人脈の多いRNRCなどのメンバー団体がリードした。シカゴの大学生らがイベントを主催して集めたと言って数百ドルを送ってくれたり、で大変勇気づけられた。上記のような、教育の面での勝利一点一点に感化されて、将来の世代へ教育することは投資だと、多額の寄付をする人もいた。やはり、戦時中日本が犯した大惨事を日本は一つ一つ忘れ去ろうとしているのをみて、永遠の忘却に対する防波堤の機能をこれらのメモリアルは果たしてくれると、希望を見出したが、皆その気持ちは共有している。
今後も続く闘い
しかし、この先、メモリアルを通して歴史教育を続け、今現在はびこっている女性搾取、暴力、売買など根絶に向けてサンフランシスコをあげて対抗するようプレッシャーをかけ続ける必要がある。日本による植民地支配下にまだ生きている結果として「在米」になった在日朝鮮人である私たちも、日本の植民地支配の負の遺産一件一件清算していかないと次の世代を平等で、隔たりや歪みのない新たなスタート地点に立たせることができないと信じている。メモリアルはあくまでもツールである。この活動を通して、一番大切なのは仲間の輪を広げていって、教育、社会組織の機能の中にも、闘う女性らすべての念頭にもこの歴史が組み込まれるようになれば、「慰安婦」問題を解決できない社会は、将来植民地者以下の弱者に対する暴力や、女性に対する性暴力を根絶できない」という認識をさらに普及できると感じている。
残念なことに、日本領事はメモリアル建設後もまだ対抗している。なんと、サンフランシスコ・クロニクル紙の編集部の社説が、10月4日の朝刊で、「慰安婦」メモリアルに関して歴史がいくらほど残酷でも、目をそらすのではなく、記憶にとどめるべきだと、全面的に支援する立場を表明したのだ。メモリアルの建立式がロイターやAPなどに書面、ビデオ両形式で取り上げられた際に、初めてここアメリカで主流メディアがこの運動を真剣に捉えたという手応えはあったが、好意的にそうしていると確信したのは、これが初めてだった。風向きが明らかにシフトしたと言える。クロニクルは主流な新聞であり、CWJC発足当初から、なんらかとニュース発信したごとに必ずフォローアップしたがなかなか相手にされてこなかった気がする。これは嬉しい進展である。何しろ世界各地でメモリアル化を通して運動を活性化しなおかつ記憶を保存、継承する方向へ進んでいこうと模索している人々に、届くように発信してほしいので、大手のメディア取り上げられることは、今後も狙う可能性は高い。
さてその社説だが、すごい反響を呼んだことを編集部は感じているはずだ。続く論争に注意を引こうと思ったのか、対照的なリアクションの手紙を隣り合わせで幾度かに渡って掲載している。ここで紹介するのは、山田淳 在SF総領事による投稿だが、CWJCによる翻訳・要約から抜粋する。
10月4日の社説に対し、2つの点を指摘したい。第1点は、中立的、客観的事実に基づいた過去であれば、記念することにやぶさかではないが、先入観に基づいた歴史は事実を映し出さない。
第2点は、このように断片的な手法でここまで特定された趣旨に基づいた記念碑をSFに建設すると、結果は2つに一つしかない。
第一にもし市が、 すべてのケースを平等に扱っているならば、記念碑だらけで空いた土地がなくなるはずだ。(しかし、もし実際そうならないのなら)市は、日本を事実上槍玉に挙げている(シングルアウトしている)ことを、認めるべきだ。
いずれにせよ、この像も現在、市に存在する古い諸像と同様、無理やり建てられた……実に、この像もまた、古い諸像同様、「半面的真理」にすぎない。
その隣り合わせで私が投稿した手紙:
貴紙が「慰安婦」メモリアルをサポートし、日本の責任を否定する日本政府と右翼の激しい反対にもかかわらず、「過去をしっかりと見据えること」を読者に促していただいたことに、感謝したい。 「有名な指導者や国史上の重要な出来事」ではなく、アジア、太平洋地域出身の、数知れない一般の女性を記念する、おそらく最初の公式な記念碑を、サンフランシスコ市が熱烈なサポートのもと建立したことを、すべての女性は誇りに思うべきだ。
生存者の方たちは、80歳,90歳代のご高齢にもかかわらず、性的人身売買や、性奴隷制とたゆみなく、闘っておられる。このような生存者の方々の、尊厳と、私たち皆を鼓舞するパワーとを反映する記念碑を私は誇りに思う。
人間性に反した行為は否定できないし、忘れ去られるべきでない。沈黙は、この重要な歴史の否定を助長するだけだ。貴紙を模範に、他の多くの人々が、「慰安婦」の記憶と記念をサポートする意思を表明することを願っている。
今後は、こういった形で議論が進んでいくだろうが、ずっと平行線を辿るのは目に見えている。歴史戦に対抗する戦略だけでは限りがあるが、北朝鮮問題が浮上してきたおかげで、過去日本帝国が巨民その他植民地や占領地に対してどんな大惨事を犯したとしても、しばらく眠っていた大和戦艦たる日本国家という戦争マシーンを再起動するに好都合な政治心理的状況になってきているようだ。侵略、戦争を阻止できる国、社会じゃないと、謝罪もできないだろう。 そういう風に、いろんなイッシューの関連性が見えてきて、分析力が深まったのは、取り組みも、視点も背景も思想も違う人々が結集して意見交換しながらCWJCの主張や手段を議論してきた成果だろう。共通の視点と意識が芽生え、個人的にも運動家としても成長した面は大きいのではないか。「慰安婦」問題が主流かするのを日本政府は恐れていると思う。あれは中国の、韓国の問題、アジア人の問題、というふうに自分から切り離して見ることができる西洋社会だが、そこをどう変革するかは次の大きな課題で、とりわけアメリカ側にいるわれわれは考える必要があるだろう。
貴重な日米連帯
今後効果を上げていくためにも、国際連帯は不可欠だが、CWJCのメンバーが、エクリプスライジングを通して日本にもいるということで、日本から仲間や、韓国からリー・ヨンスハルモニや、その他数々の人々を迎えた2015年その翌年われわれの渡日を実現することができた。そして長く「慰安婦」正義運動の先端を切ってきたWAMや関西ネットワークその他の有志と繋がり、多くを学ぶ機会を得た。
サンフランシスコの市議会など、大阪市長や日本政府からの圧力に敏感な場所では、連帯のおかげで、自信を持って、大阪や日本の市民の人々の声を伝えることができるのはかなり有力であることは、今まで数回に渡って日本の有志たちがこぞって参加してくださった署名運動の成果を通して確認できている。やはり日本国内からの市民の賛成の声は有力なのは、他国でメモリアル化に励む人々にとっても同様な政治的価値があるのではないか?
そんなことを考えながら、 来月の今頃は、サンフランシスコがメモリアル像の寄贈を受託するか否かの議員投票の結果が出ているはずだと、その場を想像している。この闘いの路線では最後の決議案投票、市庁にて最後の政治的ハードルである。このステップを終えれば、あのメモリアルは、大阪市長の曰く、公有地の少女像となりうるのだ!油断は禁物である。 日米共同で大阪市民の声をその場で議員にしっかり届けるために、CWJCで唯一日本出身のグループとして頑張ろうと思う。その後、 日米(その他ももちろんそうだが!)われわれの連帯あってのチームワークの成果だとして共に祝う時が待ち遠しい。
2017年10月16日執筆
2017年12月29日更新